【日本語】(元初・ヤマト言葉)は予言書ダニエルに始まった

2017.04.03 Monday

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【日本語の始まり】

 

…「語元は生きた化石」である…その【ホツマ】(秀真)の語元(語源の意ではありません)は、【アメ】(天)の位置を示唆する値点と、「伊勢神宮建立年」(垂仁天皇26年)時に設置された【角刺千木】の語元に関連する。その【ホツマ】(秀真)の【ホ】(秀)の語元は、『ユダヤ戦記』(A,D,70年頃作成)に書かれた【ὁ θεὸς】(ホ・テオス/God)の定冠詞の【ὁ 】(ホ)に起因する。その【ホツマ】とは、伊勢神宮の【角刺千木】と、仮想的【アメ/天空】との数値間を意味表す名称(呼称)であった。そして、その数値間を繋ぐのが、【空這う子】(天使=エノク/天御中主)であった。この解読方式は、【千木】の語元に見い出しました。つまり、【チギ】(千木)の語元は、聖書の写本時に「カミ(上)の御名」(IHVH)を或方式を用いて挿入した事に始まった。その或方式とは【ゲマトリア】(Gematria) 即ち、【文字&数値転換・解読方式】でした。その証拠は、【死海文書】(1947年発見)中に私は既に見い出しています。尚、『秀真伝』文書が、戦後(昭和20年=1945年終戦/大東亜戦争後)に再発見(昭和41年・1966年)された事により、それ迄の【缺(欠)史八代説】(津田左右吉・説)は、【無用の長物】となりました。
                                        

                         …【カミ(上/God)の顕現】…                       

★…【地震=カミ(上)の顕現】(出・エジプト記…19・5〜6/&/19・16〜20)…「シナイ山でのカミの顕現予告。 及び、カミの出現」(大地震発生)…「カミとの契約=祭祀の王国の創建」を以て、聖なる国民が誕生する」。

 

★…【地震=カミ(上)の顕現】(第四エズラ書は、実質的、最後の聖書とされる/成立はA,D,1世紀後半頃とされている)…「私が予告した標(シルシ/地震等)が表れた時が至高者が訪れる時が近づいたと悟れ〜終末の時」(来世は彼らのもの)」(第四エズラ書/むすび・9・1〜13)と記す。

 

…【日本(ヤマト)・建国思想】…その思想の頂点は、【Me/メ−】(シュメル語/秩序を司る言語)である事を「2017年(平成29年)4月26日/水曜」に、ヤット特定するに至りました。それは、此の研究を始めてから約30年を経ての事でした。『大辞林・第三』によると、【ワイダメ】とは、「弁別/分別/濁音ワイダメ/古くは清音ワイタメ/けじめ/区別/差別」等と解説されています。
 

…【ワイタメ】(秩序)とは、【三笠文】文書によると、「キサラギ(2月)ヤ、コリヱ(49/太占カミ)ココロミ(567)、ムマ(馬/生駒の語元)祭、【ヨロキ】ヒ(万木陽)イヅル、カミカタチ(円形にY字文字=タラ)、【タ】ハ、キソラテル(東空照)、ミツヲ(10+11=21・ヲ21/中心)カミ(22&21=231の門を有す車輪形状物体/メルカバ)。キサラギ(如月)中ニ、ミツヲ(21/中心カミ)来て」(三笠/年内に成す章)…と記す部分の、【万木】(ヨロキ/母木=オモノキ/恩智)の意に関連する。
 

…極東(日本列島)移動の【クムラン・秘儀宗団】トップグル−プに、【アシェル族】が合流していた。そして、【日本語】の基礎(秀真文字)の【数値言語】を設定するに当り、この【アシェル族】に関連する単語を造語した。それは【ヤマト言葉・数値言語】に関連する。つまり、「ヰムナヤ」(5+6+7+8=26/ヨロ&テトラグラマトン)であり、次の、【コト】(9+10=19/ト=Yod/45&55)と言う【倭語・数値】に、隠された秘儀数値(三角数/俵積計算)である。尚、【ヒフミ・神事】(物部神事祝詞)に言う…「ト(10/55)迄数えて、震え唯、ユラユラ震え、カク成せば、既に罷るモ(始めに戻る)、蘇る、フル(360&365)の【コト】(四季的な循環システム)ぞと詔」…の語意は、その最後の【コト】(9・10)の部分に集約(365)されていて、此の【秘儀数値】の存在が意味する処は、ゲマトリア数値の存在をいみするものである。従って、先述の「ト=Yod/45&55」とは、ヘブル文字のゲマトリアの存在を示唆していて、それは、【ヤマト言葉・数値言語】の【モ・チ】(百・千/望月/満月)の語意に当たり、円形(丸)的意味(循環法則の意)を言い表す言語として造語した事を物語っている。
                                        
                 … 【ワイタメ】(秩序)の語元は【Me】(シュメル語)である
                                          (第2回/八尾・発信会…平成29年5月13日・土曜)

 

…『秀真伝』文書によると、「長髄彦討伐戦」を行うに当たり、吉備の児島から浪速(大阪湾)に到着した。その到着の年月は、タケヒト(後の神武天皇)即位3年前(天鈴55年ヲシヱ=戊午/B,C,3年)のキサラギ(2月)の時として『秀真伝』文書は記している。然し、龍田越えに関しては『日本書紀』には【4月】と記してる。その謎の「約1〜2ヶ月間」の出来事に付いては、浪速から【シフカワ】(澁川/元初のヤマト川の意)を溯る(秀真伝)と記している部分に、その謎解きの【鍵】があった。つまり【日本書紀通証】(著者=谷川士清/タニガワコトスガ)や、【住吉大社神代紀】、【恩智神社伝承】によると、【オモの木/樹】(母木里)伝承があり、それも謎解きの鍵になっていた。それは、『ホツマツタヱ』の姉妹書(散逸書)に当る【ミカサフミ】に記す「年内(トシウチ)に成すアヤ(章)」の【2月/馬祭】祭事と、【フトマニ/太占】の祝詞文にも関連する。
 

…要訳すれば、その【馬祭】(2月)とは、【イコマ・山】(キモ/胆駒/生駒)の語元に関連する。つまり、【オモの樹】(母木)の初出年月は、【日本書紀通証】によると「戊午・三月」と記していて、その【3月】とは、「イコマ(胆駒=生駒)の初出年(神武天皇即位前紀/戊午・三月)でもあり、「神武天皇即位前期の長髄彦討伐開始年(戊午)の出来事」(B,C,3年)の年に当る。つまり、【長髄彦・討伐物語】(神武・九州から遠征する)は、龍田越の道が険しく困難を極めた為、作戦が変更された。それで高安山の麓付近(オモキ=母木の語元地/恩地の語元…八尾市恩智)が、龍田(水のカミ)と【住吉大社】(景行天皇28年2月/即位年はA,D,71年戊戌に当り、此の年は、後漢時代にあっては、「章和12年=A,D,82年」(ヤマト国では熊襲征伐帰還年)の時に当る。

 

…ちなみに、東西線に於ける中間値点を選び【オン】の地(古代エジプト)に祭られていた【YΑΩ=ヤオ】の御魂を勧請し【馬祭】(三笠文・年内行事)を行った。この事に起因(大木のエンブレム)する【胆駒】(膽/キモ/タン)祭りが、【生駒山】の語元で、その祭りを行った地域が【恩智】(大阪府八尾市)となる。又、此の祭りは、【オン】&【知恵の樹】に起因する。そして、次の【3月】に、恩智川沿いを北上し、【盾津】(大阪湾岸/東大阪市)に陣を構えた天児屋の子孫の【アウエモロ】(日下を拠点とする)軍と合流し、長髄彦との本格的な戦(孔舎衛坂)が始まった。

 

…『秀真伝』には、【天鈴55年/ヲシヱ】(戊午/ツチノエウマ)の【3月】と記している。太占によれば…「シニキニノ、トホコニミツノ、アラソヒモ、アニ(兄=ニギハヤヒ)ガ愚かに、キモ(胆/訓読キモ/音読タン=膽)ヤツムラン」とある事に関連する。又、年中行事(三笠文)によると…「キサラギ(2月)ヤ、コリヱココロミ、ムママツリ(馬祭)、ヨロキヒイヅル(万木陽出)、カミカタチ(Yタメ)、【タ】ハキソラテル(東空照)、ミツ(3光)ヲ(中)カミ、キサラギ(2月)中ニ、ミツヲ(3光の中心/天御中主尊/Me元カミ)来て」(三笠/年内に成す章)と記している。尚…【日本書紀通証】によると、【母木】(オモの木/樹)の地は、「神武天皇即位前・戊午年三月/高安郡恩智也」と記す。それは、龍田越が困難を極めた為に引き返し、後々の年中行事の1つと成る【2月・馬祭】(胆駒越の祈願)は此の事に起因する、その【3月】、日下を本拠地としていたアウエモロ(天児屋の子孫)軍と【盾津】で合流し、その【4月】が【盾津】の東側に位置するイコマ(胆駒山=生駒山)越えによる本格的な長髄彦との戦(孔舎衛坂の戦い)が始まった。そこで五瀬命は肘を射られ、官軍は【ヤオ=ΙΑΩ】へ退き、祭事を行って海路を迂回し熊野に向かう。尚、八尾へ軍を退いた時の詳細な事は、『秀真伝』や『日本書紀』に記載がないが、現地の【竹淵(タコチ)神社・由緒書】(竹淵郷神社縁起)には、確と、明記されていた。その【タコチ】の語元は、【ヤオ】の初出年数値に関連付けての造語であり、その双方の語根数値は、「ワリウルリ」(割瓜)の関係(千木の語元に関連)数値で構成されている。   【YΑΟ(ヤオ)に始まる日本建国史・発信会】(略称/YΑΟ・発信会)・第三回集会(平成29年7月15日/土曜)
                                        
【日本語の始まり】とル−ツに付いて

 

…B,C,2世紀始め頃から中頃迄に書かれたとされる【ダニエル書】(5・25〜)に記す、「Mene,Mene,Tekel,U・Pharsin」(メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン)とは、日本語の起元(起源ではありません)に関連する言語です。【ギリシア語訳聖書】(ト−ラ/モ−セ5書)には、ギリシア人がアッシリア(B,C,721〜705/サルゴン2世が用いた)から学んだ【ゲマトリア】(文字&数値転換・解読方式)が組み込まれています。 因みに、【Mene】(メネ/700)。【Tekel】(テケル/148)。【U】(ウ/30)。【pharsin】(パルシン/313)の合計数値は「1191」となり、此の秘儀数値は、日本人の【正典】(Bible=聖書)として書かれた【ホツマツタヱ】(秀真伝)&【ミカサフミ】(三笠文)文書を構成する【皇歴・在位通年数値枠】(枠物語)として取り込まれています。
 
…【ダニエル書】(黙示文書)によると、【メネ】とは、「カミが彼方の治世を数えて終わらせられたと言う事です」(5・27)。そして、【テケル】とは、「彼方がハカリで量られて、目方が足りない事が解ったと言う事です」(5・28)。そして、 【パルシン】とは、「彼方の国が分割され、メディヤとペルシヤとに与えられると言う事です」(5・28/ダニエルの解説文)。とダニエルは説明したと記す。その3つの単語を要訳すれば…【メネ】(数える)、【テケル】(量る)、【パルシン】(分ける)の意とされる。ちなみに、此の言語に対し、【倭語・ゲマトリア数値】を用いて計算すれば、ユダヤ民族の一神教として、古代エジプトの地(太陽の町/ヘ−リオ・ポリス)に祀られたGodの御名(ヲン)を言い表す秘儀数値(141)が隠されている事が解りました。
 
…五七調言語に言う…「イタムコト、アラバ ヒフミヨ、ヰムナヤコ、トマデカゾエテ、フルエタダ、ユラユラフルエ(ゆらゆら震え)、カクナセバ、スデニマカルモ、ヨミカエル、フルノコトゾト、ミコトノリ」(『秀真伝』第20章/天御孫十種得綾)。これは【物部氏族】に伝わる【ヒフミ神事】として現在迄も伝えられている。この中の…《【フル≒振る】(降る・震)の事》…とは、「四季的な始めの処(春)に循環する為の循環的な終り」(罷る/再生/復活)を示唆する言語であった事が、ヘブル語と、ギリシア文字に関連付けた【倭語・ゲマトリア方式】を用いて考察すれば解ります。

 

…元始倭語(ユダヤ民族史/B,C,二世紀以降)。つまり、【ダニエル書】に記す「メネ」に対するヘブル語の秘儀数値は「700」だが、三角数に変換すれば「210+190=400」に成る。造語【フル】(N・M)のゲマトリア変換数値(50+40=90)と、三角数の変換数値(91+78=169)を合計(90+169=259)すれば、その「メネ」に付随する数値は【400】(ヘブル文字の終りを意味表す/四季に言う枯れ/罷る → 復活/再生)の数値に成る。 此の秘儀数値に対し、倭語数値言語(造語)【フル】(ΝΜ=90)の数値と…倭語ゲマトリアによる三角数「91+78=169」を加算すれば【400】の数値に合致する。従って、倭語数値言語の「“嵬棔廚ら〜「番目」迄の数値単位、つまり、【倭語1文字・数値単語】の「13字」による数値単位、即ち、「1の位〜10の位〜100〜千の位〜万の位」迄(13文字/1文字単語)の設定方式に於いて、「千の位」迄の秘儀数値が「138」に成るように「倭字・基本48字」(アワノウタ)の中から選択(ヰムナヤの数値言語は既に固定済み)し、「第13字目」の数値が「3」(第3番目)に当たり、尚、その合計が「141」に成るように意図的に数値単位文字を選択(強制)し設定したのが、我が国(日本)の数値言語です。

 

…前回「五月集会」(第二回目)の時は、倭語数値言語の配列方式を説明しましたが、今回は、その倭語数値設定のルーツに付いて説明する事と致します。
                                        
…加島での次回(6月4日/日曜)【日本語の始まり】研修会用テクスト

 

…【日本語の始まり】(アメーバブログ)★標題「【元始・ヤマト言葉】は【カミの御名=ΙΑΩ】(八尾市の語元)に始まった…」の【追記】文面…

 

…【エゼキエル書】(ユダヤの地に地震の予言)…「38・18/ ゴグがイスラエルの地を攻めるその日、神である主の御告げ。私は怒りを燃え上がらせる」。「38・19/私は、妬みと激しい怒りの火を吹きつけて言う。その日には必ずイスラエルの地(ユダヤ民族の地)に大きな地震が起こる。「38・20/ 海の魚も、空の鳥も、野の獣も、地面をはうすべてのものも、地上のすべての人間も、わたしの前で震え上がり、山々は覆り、崖は落ち、全ての城壁は地に倒れる。
 
 …【追記】(平成29年5月29日/月曜)…カミの御名【ヲン】(大陽の意/一神教のカミ名)
 
…【ダニエル書】(黙示文書)の、【Mene,Mene,Tekel,U・pharsin】(メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン/5・26)の意とは…その『旧約聖書』(ダニエル書)によると…「【メネ】とは、カミが彼方の治世を数えて終わらせられたと言う事です」(5・27)。そして、「【テケル】とは、彼方がハカリで量られて、目方が足りない事が解ったと言う事です」(5・28)。そして、 「【パルシン】とは、彼方の国が分割され、メディヤとペルシヤとに与えられると言う事です」(5・28/ダニエルの解説文)。つまり、その3つの単語を要訳すれば…【メネ】(数える)、【テケル】(量る)、【パルシン】(分ける)…の意とされる。それで、【倭語・ゲマトリア数値】を用い、その数値を計算(メネ400−テケル259=ヲン141)すれば、一神教として古代エジプトの地(太陽の町/ヘ−リオ・ポリス)に祀られたGodの御名(ヲン)の秘儀数値(141)が此処に現れる。
 
…【倭語・ゲマトア】の【ヲン】(141)…とは、…「イタムコト、アラバ ヒフミヨ、ヰムナヤコ、ト(121)マデカゾエテ、フルエタダ、ユラユラフルエ(ゆらゆら震え)、カクナセバ、スデニマカルモ、ヨミカエル、フルノコトゾト、ミコトノリ」(秀真伝第20章…天御孫十種得アヤ)と言う祝詞言語に関連する。此の【物部氏族】に伝わる【ヒフミ神事】中の、「フルノコト」(振るの事)に当る数値であるが、此の数値言語は、次の「モ=百」(1)+「チ=千」(16)+「ロ=万」(3)=「ヲン=141」と言う【秘儀数値単位言語】を省略(1+16+3=20/澗誓蠖値)したものである。
 
…要訳すれば、その省略した部分(20/太占数値)の秘儀数値【141】(ヲン/God)の意は、「アルカナ」(隠された物の意/モ.銑哀蹲=20&フル91+78=169)を意味表している。それで、その隠された部分(20)を繋ぎ合わせれば、その合計は、「121+20(モチロ/太占)=141」と言う秘儀数値となり、更に……「ト迄(55)数えて」+「フル(アルカナ/91+78)169」(365=1年/365日)の事ぞとミコトノリ」……と言う祝詞言語に成る。
 
…従って、『秀真伝』文書は、上記【ヒフミ・神事】の後に、【フトマニ】(太占)祝詞が記されている。即ち…
 
※…「アキニ(179/秋分〜春分迄)トル、コチ(アルカナ・141+春・179/+コチ・680=1000)ニヒ(氷/非)モトケ(解け)、ツミノカル(罪逃る)、イマハル(春/アルカナ・141+179+680=1000/完成=千木の語元数値)ナレバ、ニシノソラ(西の空)、タミ(民)ツカレナシ、ヨシヨシト、ミコト(詔)サタマル」(秀真・20章)と記す。…(注…此処のゲマトリア秘儀数値は筆者による挿入です)。尚、その裏(占いの語元)問えば、つまり、★【太占・第3番祝詞】文書によると…「フトマニ(20)/アキニ(179/秋分〜春分迄)ト(121)ハ(計・300/カミの数値)、コチ(680)ニヒモトケ(氷/非も解け)、ツミノカル(罪逃る)、ツグミココロ(告ぐ御心)ノ、ハル(春/春分/20+179+121+680=1000/千木の語元)ゾキ(来)ニケル」と成る。因みに此の【秘儀数値】も筆者の挿入です。
 
…上記の【ヒフミ神事】と、此の【太占】祝詞の文言は、【天照大神】の嫡男(兄)オシホミミの皇子(ホノアカリ/カグヤマオキミ)が天降する時として書かれた文面である。尚、弟のニニキネは、その天降受け、舟を製造した。その舟で、兄のオシホミミは海路、つまり、「ツクモの地から伊豆の岬で帆を上げ、熊野(三重/和歌山)の海路を経て、斑鳩の峰を巡り白庭村に宮を造った。然し、その翌日(明日/カラス飛ぶ)にはホシホミミの気が変わり、別の地域へ遷都した。従って、最初の此の地に対しては「アスカ」(カラス飛ぶ・明日/飛鳥)と言う。そして、尚、翌日に早速遷都した地域に対しても、「アスカ」(飛鳥と明日/表記文字を変えているだけ)と呼ばれたのである。

 

…A,D,70年以降に成立した「カハル」(自治体=ヘブル語qahal)…(筑紫にも在った)。


 

…(前文略)…ト−ラ(モ−セ5書)が神聖であるゆえに文字も神聖とされる。数字も同じく神聖である。鍵が発見されれば奥義を得る事ができた。1つの鍵は詩篇147篇5節の、私達の主は大いなる方、御力は強くと言う文句であった。この句の文字を使うとカミ(God/Yahweh=ヤハウェ)の寸法が解ると言う。つまり、文字の数価236に天界の同盟者達の1万をかけた数字が、カミ(God/Yahweh)の頭と手足の基本的な丈とその秘密の名前を示すものとされた。(多数の天使の名前は此処では省略す)…これらの名前はパラダイスに通じる一連の空想的な8つの宮殿に魂が入る際、天界の守衛達が入場を許可する時の合い言葉を形成するゆえに重要であった。8と言う数はギリシアのグノ−シスからきたマジック・ナンバ−であり、カミ(倭語/上の意)の力と放射(フトマニ図形に関連/車輪形状)である戦車はギリシア語のアイオ−ンに相当するものであった。又、ヘブル語のアルファベットの数22もマジック・ナンバ−であった。なぜなら、創造自体はヘブル語の文字の組み合わせによって行われたのであり、これらの暗号は、それが発見された時、宇宙の秘儀を明らかにするからである(後文略)。 

 小島説…「22×22=484」(雄略天皇21年=477年/B,C,7年の長髄彦討伐開始年に溯る)。
 

…【日本創建史/設計図】(身丈柱寸法数値)…「伊勢神宮屋根端から端迄の棟に千木80設置」(48字×2・25咫×ミ()=1080+千木の語元Π80=1160/解読・A,D,2016=平成28年10月15日/土曜早朝6時頃解読)。

 (PowerPoint(パワーポイント)の一部コピ−文書)
 

…【メネ】700(満699)+【テケル】148=「847年/秀真・天鈴暦終焉/景行天皇期迄」+【ウ】30+【パルシン】313=1190(大地震&カミの顕現/紀元前31年)。
 

…「アキニ(179/秋分〜春分迄)トル、コチ(アルカナ・141+春・179/+コチ・680=1000)ニヒ(氷/非)モトケ(解け)、ツミノカル(罪逃る)、イマハル(春/アルカナ・141+179+680=1000/完成=千木の語元数値)ナレバ、ニシノソラ(西の空)、タミ(民)ツカレナシ、ヨシヨシト、ミコト(詔)サダマル」(秀真・20章)と記す。…(注…此処のゲマトリア秘儀数値は筆者による挿入です)。尚、その裏(占いの語元)問えば、つまり、★【太占・第3番祝詞】文書によると…「フトマニ(20)/アキニ(179/秋分〜春分迄)ト(121)ハ(計・320)、コチ(680)ニヒモトケ(氷/非も解け)、ツミノカル(罪逃る)、ツグミココロ(告ぐ御心)ノ、ハル(春分/フトマニ20+179+121+680=1000/完成/千木の語元)ゾキ(来)ニケル」と成る。因みに此の【秘儀数値】は筆者の挿入です。

 

☆地震…【エゼキエル書】(ユダヤ民族の地に巨大地の預言)…「38・19/私は、妬みと激しい怒りの火を吹きつけて言う。その日には必ずイスラエルの地(ユダヤ民族の地)に大きな地震が起こる」(B,C,31年/ユダヤの地域に巨大地震発生)。

                                        
…【祭祀王国の境界設定】(カミとモ−セとの契約)…(平成29年6月10日・アメーバブログ記事)

 

…日本の【ヤマトコトバ・数値言語の設定】(B,C,31年以降〜A,D,1世紀中頃迄に設定)…
 
…「ヲシロワケ」(後に言う第12代・景行天皇の御名)の「ヲシロ」とは、『ホツマツタヱ』(秀真伝)に言う【ホツマ】(ホツマ国)の語元と同義語である。つまり、「ヲシロ」と、「ホツマ」とは【数値・言語】であり、それは「1万枠の中の千年枠物語として書いた秀真伝と三笠文文書の最後の数値」(在位通歴790年&千年枠物語)を示唆する数値言語である。
 
…標題に言う【祭祀王国の境界】とは…「あなた方は私にとって祭祀の王国、聖なる国民となる」(出エジプト記19・5〜6)に起因するその【境界】に当る。此の事は…「ソノチヰモ(1500)、ウミテアヤマチナキコトオ、マモルヨモツノ、ヒラサカハ、イキタユルマノ、カキリイワ、コレチカエシノ、カミナリト」(秀真・5章)…と記す処の【チヰモ】(1500)に起因する。つまり、数値言語【シマ】の語元(語源の意ではありません)が此の文言の中に隠されいる。そして、此の謎解きは【1万枠】、及び、その中の【千年枠・物語】(日本建国創建史・枠)の枠設定方式にあり、以前のブログで既に説明済みの【メネメネ、テケル、ウ・パルシン】に組み込まれた【秘儀数値・1191】に関連する。
 
…倭語【シマ】(島)の語元は、「ノアの嫡男・シェム」(セム語の語元)の御名が語元である。ちなみに… 【シェマ(Shema)イスラエル(Israel)】(申命記6・4)…「聞きなさい。スラエル。主は私達のカミ(上)。主は唯1人である」。に言う、「聞きなさい」が【シェマ】(ゲマトリア数値・340)の意として記す。此の言語は、「ヘブル語の祈りの際の冒頭に用いる言語」(聞け)であるが、そのシェマの祈りに於いての「カミの御名」は二通りある。つまり、「我らのカミ」(カミと我々の合体語を以て1つのカミと定義する)の意である。それは、「彼(カミと我)らが風にのって【20万】ものものの世界を横切り隠されている」(アルカナ)とされる。つまり、此処に言う【20万】の意が、我が国に於ける【フトマニ】(太占)の語元である。
 
…『秀真伝』文書に取り込んだ倭語による数値言語【フトマニ】(20が基本数値)数値が意味する処は、想像上の天空界と神社の【千木】とを祝詞(フト占い)言語を用いて繋ぐ役目にあった。従って、「千木の語元数値」は「カミの御名に関するゲマトリア数値」(1300)を取り込んでいる。此の事を説明する記述が、「鳥より先に知るカミ(上)のシマ(シマ木/200)は【トリヰ】ぞ…秀真(ホツマ/押Σ)をナメテ【トリヰ】(200+1300=1500/チヰモ)ナリケリ」(秀真21章…ニハリ宮ノリ定ム章)と言う部分に当る。つまり、「トリ(1000)が居(300)るから鳥居」と言うが、その前に【ホツマ】を嘗(押砲瓩討筏す部分が謎解きの【鍵】だったのである。
 
…【1500/チヰモ】…とは、「イザナキとイザナミとの間でカワされた【チ/1000返しの契約数値】言語に言う【1500】(チイモ)の数値である。従って、【シェマ】(聞きなさい)の語意を語元とする【シマ】(鳥居)の語元に溯る根元数値(ゲマトリア)の内訳は、【YHVH】(最初の2文字/15)と、【ヘブル文字数(22)。そしてエジプトの葦を意味表す【Yod】(Αの変換字/10)の数値を加算した【秘儀数値・370】(天使・エノクの意に当る)を用い、倭語【アメ・ナカヌシ】(天御中主)の言語を造語し、【日本建国史】(カミ代物語を含む)の中に登場させた。此の【秘儀数値】(ゲマトリア)、即ち、「ユダヤ文字22+カミ15×Yod10=370」は、更に、【フトマニ】(20の隙間/太占)祝詞を用いる事により、我が国の国称【ヤマト】の語元を形成する言語として取り込んだ。因みに倭語【カミ】の語元は、「Shema・Israel」(聞け。イスラエル/申命記6・4)に続く文言中の「アルカナ/20万のかなたに隠される」(カバラ・207ページ)数値に起因する。つまり、「ヰヤマトトフル、ヤマトクニ…マト(30/的)のヲシエハ、ノホルヒノ、モト(360)ナルユエニ、ヒノモト(日ノ本)ヤ、シカレトヤマト(580)、ナステソヨ、ワレハトノチ(我は葦の地/20)ニ、ヲサムユエ、オミモトミナリ、ソノユエハ…」(秀真23章)の語意にも関連す。

…現在に言う【神明様式・千木】とは【伊勢神宮】の鳥居であり、【明神様式・千木】とは、一般神社の鳥居の形状の元形に当る。その双方の形状は、【ホツマツタヱ】(秀真伝)&【ミカサフミ】(三笠文)文書を構成する文字の形状(シ&ヰの文字)を用いて形状化したものである。何故、鳥居の形状が二つに分けられたのかと言えば、それは、基本ヘブル文字とギリシア文字との双方の文字配列方式が取り込まれている事に起因する。そして、その双方の形状は、『旧約聖書』に言う…【主のミタマ】(御魂)を祀る社の語意を意味表す事によって一致する。その証拠が、【明神鳥居】の部位に言う【シマ木】設置の存在(押Σの意)である。その千木の設置が意味する処は、【出・エジプト記】に記す「モ−セとカミ(主)との契約」(YHVH/祭祀の大国となる事)である。
 
…【追記】(2017/06/10・土曜)…【トリヰ】(鳥居)と【フトマニ】(太占)の語元…
 
…【トリヰ】(鳥居)の語元(語源ではありません)は、倭語【トリ】(鳥)に対し、倭語数値とヘブル文字ゲマトリア数値を絡めた数値言語が語元(10×100=1000)であった。此の語元に辿り着くには、古代エジプトのヒエログリフ(絵文字)を知る必要があり、簡単に言えば、ロゼッタ・スト−ンの絵文字【禿鷲=A】がその例である。つまり、此の形状を念頭に置いて、『秀真伝』文書文字の【ヰ】の形状に対応させた形状が、現在に言う基本【明神鳥居】の元形であった。従って、此の形状にはゲマトリア数値(1300)が組み込まれている事になる。
 
…【フトマニ】(48字語+3字・アウワ合体言語=49語/太占)の語元は、読んで字の如く…《フト(20)/マ(間)・ニ(カミの手による文字)》…の意である。此の語意が意味するものは、「20の隙間」の意と、「カミの手による文字」の意である。先ず、此の「カミの手文字」の意は、【ダニエル書】に記す「カミの手文字」(メネメネ、テケル、ウ・パルシン)配列方式を示唆する言語に当る。そして、「20の隙間」の意は、【フトマニ】(1文字単語48+3文字単語言語1=49言語×20隙間=980)を意味表す。その数値「980」が意味する処は、「アダム〜ノア迄の生涯年数値の合算数値」(8575)に対する秘儀数値を示唆している。そして又、「天照大神生誕年〜長髄彦討伐開始年迄」に言う【179万2470年】数値を決定する【秘儀数値】にも関連し、且つ、【Qumran Sect】(クムラン・秘儀教義宗団)が、祖国(古代ユダヤ民族の地)を離れ極東へ移動を開始する切っ掛けと成った【カミ(上)の顕現年】(B,C,31)を意味表す数値でもある。又、【千年/枠物語】(秀真伝/皇歴在位通歴790…神武天皇〜景行天皇迄)に関しても、此処に言う【フトマニ】(瓦侶箚嵜値)を意味表す数値に当っている。

 

【追記】(平成29年=A,D,2017/06/11・日曜)…倭語【カミ/ヤマト/トリヰ/フトマニ】の語元
 
…倭語【カミ】の語元(58)は、先述に言う…「Shema・Israel」(聞け。イスラエル/申命記6・4)に続く20万のかなたに隠(アルカナ)される」(『カバラ』297ページ)と記された文言に関連する。つまり、倭語【カミ】の語意は三人称(フトマニ/アウワ)を意味表す造語(倭語)であった。此の事も、『カバラ』(著者・箱崎総一)に記す文面内容に関連する。つまり端的に記せば…

※… 嵌猜は巨大な鷲(A)を見たか」。…※◆崚靴粒惘,ら降りて来る少年」(天使・エノク)。…※「彼(天使)らは2つであり1つが結び付いて3つになる。彼らが3つになった時、彼らは1つである」(三位一体説)。…

 

※…ぁ嵌爐蕕錬欧弔任△蝪韻弔砲覆襦廖福惱┸薪繊戮離▲錙疆靴謀る)。…※ァ孱何佑離吋襯咼燹瞥翼天使)の上に聖なる存在がましまして彼を祝福した」。…※Α嵌燹弊擦覆訛減漾砲呂修離吋襯咼燹瞥翼天使)の上に跨って20万もの異なった世界の向こうに隠されてしまった」(アルカナ/隠す意/倭語フトマニの語元)。以上。
 
…簡単に説明すれば… 斛鼻曚箸蓮◆嶇糎譟Ε肇螢陝廖閉撒錙砲慮豸気箸覆襦◆攵年】とは、「天使・エノクの意」であり、「倭語・アメノミンカヌシの語元」でもある。【天使2+1=3】とは、倭「語・フトマニの語元」である。ぁ擅欧弔錬韻帖曚琉佞蓮◆嶇糎譟神明鳥居と明神鳥居」に対し双方は1500数値として纏(+200)めるを以て同義語とした。ァ收擦覆訛減漾曚箸蓮▲罐瀬簗餌欧陵0譴亮腓魄嫐I修后Α擅横亜曚箸蓮◆嶇糎譟Ε侫肇泪法廖並誓蝓織▲襯ナ)の語元である。

 

… 銑λの部分が倭語を造語するに当たり、どのように取り込まれたのかを簡単に説明すれば… 斛鼻曚蓮◆嶇糎譟Ε肇螢陝廖閉撒錙砲慮豸気箸靴銅茲蟾んだ。◆攵年】は、「天使・エノクの意」であるが、「倭語・アメノミンカヌシの語元」として取り込んだ。【天使2+1=3】は、「倭語のフトマニ」の作図を以て取り込んだ。ぁ擅欧弔錬韻帖曚琉佞蓮現在に言う「神明鳥居と明神鳥居」双方の形状に対し、【1500】数値に関連付(+200)を以て取り込んだ。ァ收擦覆訛減漾曚蓮▲罐瀬簗餌欧痢斃0譴亮隋曚紡个掘∀糎貎値の【ヨロ】(万単位数値)の造語を用いて取り込んだ。Α擅横亜曄米鷭祝の意)は、「倭語・フトマニ」(太占/アルカナ)の語元として取り込んだ。
 
…ちなみに、ぁ1500】の数値は、『日本書紀』の伊弉諾尊と伊弉冉尊との契約数値(チヰモ・アキ)として記載されているが、何故、その倭語数値言語(チヰモ)に対し【アキ】と言う言語が付け足されたのかと言えば、此の双方の言語(造語)は同義語の意を示唆している事に関連する。つまり、【アキ】(秋の語元である)とはユダヤ民族の主の御魂(300)を意味表す言語に当たり、鳥居の語元に関連付けての倭語ゲマトリア配置数値では【200】(1300+200=1500)に当る。従って…「鳥より先に、知るカミの、シマ(ノアの嫡男/シェムが語元)はトリヰ(鳥居)ぞ」(秀真・21章)。…と『秀真伝』文書は説明しているのである。

 

…【追記】(2017/06/13・火曜)…倭語【シマ】&アイヌ語【シャモ】に付いて…
 

…アイヌ語【シャモ】の語意は、「隣人」(ヤマト&秀真国)」(近江国円城寺/新羅=源頼義明神縁起)の意とされる。因みに、『秀真伝』文書と【アイヌ】との関連は、【善知鳥(ウトウ)神社】の【由緒書】(九頭竜伝説)に関連する。その『秀真伝』文書によると、【八岐大蛇・退治】に先立つ【九頭竜・退治】物語(天照大神/宮中物語)に関連する。つまり、【ヤマト/ホツマ国】の宮中に於いて、スサノオと恋仲にあった【姉・モチコ】(天のホヒの母=九頭竜)と友好関係にあったのが狩猟民族(野山を駆ける技を有す)の【アイヌ族】であった。その、アイヌの応援を得、時の政府(天照大神)に対し反乱軍(ハタレ=アイヌ影)を組織し【姉・モチコ】は反抗(反乱軍)した。そのアイヌの人達が【ヤマト=秀真国】に対し、【シャモ】(隣人)と呼んでいたとされる。尚、【妹・ハヤコ】(八岐大蛇)等の話にも関連する【善知鳥】(ウトウ)に関しては、既にAmebaブログに書いています故、その説明は省きます。…つまり、アイヌ語【シャモ】(隣人)と、倭語【シマ】(ノアの嫡男の御名シェム → シマ)の語意は、友愛語的関係言語だったのである。因みに、政府軍に敗れたハタレ(反乱軍)のトッブだった【姉・モチコ】は、『秀真伝』文書(28章)によると…「モヰソヨホ(154万年)、マタモチオロチ(姉・モチコ)…【ヱゾ】(蝦夷/現在の北海道)シラタツ(白龍)ノ、タケ(嶽)ニマツ、イマ【カミ=上】トナル、ムナシサヨ」(秀真伝/アヰヌ・初出)…と記している。

 

 

 

ヨセフス著『ユダヤ古代史』(B,C,31年/大地震の発生の記述あり)
 

☆…【大地震の発生】…ヘロデが王位についてからの第七年目(B,C,31年)、カイサル(ロ−マ)とアントニオス (エジプトのギリシア人)の間にはアクティムの戦いが行われたが、またこの年、ユダヤ地方には、それまで に例をみないほどの大きな地震が発生した。全国では、倒 壊した家屋とともに約三万の人が落命し、多数の家畜類も失われた。ただし、ヘロデの軍隊だけは、野外で宿営していたため、全くの無傷で残った。
 

☆…【安息年とヨベルの年に付いて】…以上の律法は、モ−セの存命中、彼からわたしたちの祖父に与えられ、す でに実施されていたものである…「七年に一度(安息日)、耕作や種を中止して土地も休息させる」。「七年 周期」(7×7=49年/安息日)の満五十年目(ヨベル年)は、債債務者は債務を解除され奴隷も自由人となる。

 

 ヨセフス著『ユダヤ戦記』 …【エルサレム第2神殿】に関して

 

☆…七つ燭は惑星を表し、燭台の枝は七つだった。
 

☆…机の上の十二個のパンは、黄道帯の周りの区画数と一年(12ヶ月)の月数を表している。
 

☆…香壇は、海から、あるいは砂漠や人の住む土地から運ばれてきて満たされる香料の数【十 三】(V・310ペ−   ジ)ゆえに全てがカミ(アヘバ/AHBH=13/単一)のものであり、カミ(ホ・テオス)のために 存在することを示していた。 
 

☆…もっとも奥まった部分は二十ぺ−クス(1ぺ−クスは約45僉9m×9m)あった。
 

☆…【オニアスの神殿(エジプト)が閉鎖さる】…アレクサンドリアの知事ルポスは、カイサルから書簡を受け取る と、神殿(エジプト/ヘリオポリス=大陽の町)へ赴き、奉納物の一部を運 び出すと聖所を閉鎖した。この聖所の創建から閉鎖までの期間は、三四三年(伊勢神宮建立年から千木値点迄の数値343年)だった。
 

☆…【エッセネ人】…「いっさいのことをカミ(主)の手に委ねることにある」。「エルサレム神殿に奉納物を献ず るが、異なる清めの儀式に従って独自の犠牲祭儀を営んでいる」(エルサレム神殿からは閉め出されている)。「ひたすら農事にのみ励む、品性のもっとも高潔な人々 である」。「自ら高徳を誇るいかなる人と対比してもいささかの遜色もない、真の賞賛に値 するものであった。」。「この資質はギリシア人や、その他の人の中にも全く見い出せない ものであり、かつ、それは昨日、今日(A,D,70年以後頃)のことではなく、遠い昔(B,C,587年 頃から計算すると約657年間を経る)から絶えることなく、常にその献身の生活を実行してきたのだから驚異である」。

 

※…この【満657年】(筆者説)とは、【神日本磐余彦】(後の神武天皇)即位元年 (1年目)から伊勢神宮建立年(垂仁天皇25〜26年)迄の年数と同等の数値に当る。

 

※…上記の参考文献は、『ユダヤ古代史』と『ユダヤ戦記』です。この双方の著者は、エルサレム第二神殿陥落(A,D,71年)時、ロ−マ軍と戦った古代ユダヤ民族の「フラウィウス・ヨセフス」だが、現在版の日本語訳としては「秦剛平・訳」(筑摩書房行)を用いてました。

 

…『図説ギリシア語聖書の写本』B.M.メッガ−著(土岐健治監訳/教文館発行)の、【死海文書】(1947年 発見)関連記事によると…「Q、86、88、234咫264」の中で、【 ΠΙΠΙ 】(PiPi)というギリシア文字が、方形文字(ヘブル文字)による聖四文字の大まかな形を示すために用いられている(図版21)…と記されている。

 

…その(上記)注釈によると、「ヒエロニムス時代(西暦384年にロ−マで書いた1通の手紙の中で)には、無知な 朗読者達が、聖四文字(ΠΙΠΙ)をギシア語の単語であると想像して、これを実際【ピピ】(PiPi)!と発音するようになってしまったのもやむをえない事であった」…と記している。 
           

大東亜戦争後の『日本書紀』と『秀真伝』の研究(2017年=平成29年3月29日/水曜)
 

★…トインビ−(歴史学者/A,D,1852〜1883年)は「12歳〜13歳迄に神話を学ばなかった民俗は例外なく滅びてい   く」(Google検索/戸松慶議著:生存法則論…日本民族の世界観第1巻・古事記篇)等と、言ったとされる。
 

★…「大東亜戦争(第二次世界大戦)以降、現在(2017年=平成29年3月27日/月曜)に至っても我が日本国の教科 書に、『日ノ本・カミ代物語』(Japanese・mythology)の記載は無い。それは、戦後の日本を支配したアメリカが、『日本書紀』等、「建国の話は危険思想」と考え、教える事を禁じた(GHQの神道指令/1945年=昭和20年12月)からである。しかし、世界の国々においては自国の建国史を教えない国は殆どない。
 

※…中国語には元来「神話」の概念はない。つまり、神という概念はあったが、歴史時代(B,C,24 6年/秦の始皇帝 時代)の前に、【神話時代】はない。

 

★…【日ノ本・カミ代物語】の鈴木暦(スズキコヨミ)(1鈴木6万年/1枝60年/1穂1日)による歴年史。
 

※…初期設定の「日ノ本・開闢1年」〜「天照大神・生誕年」は【満・120万7530年】+1792470=300万年

(天照大神生誕年から即位年迄は50年/満49年である)

 

(1)…「日ノ本・開闢1年〜天照大神・即位年」…【 120万7580年】+満179万2420=300万年
…(21鈴126枝20穂/在位24万240年)…

 

(2)…「天照大神生誕年〜オシホミミ・即位年」…【◆144万7820年】
…(25鈴130枝20穂/在位37万2141年)…

 

(3)…「オシホミミ尊〜&ニニキネ・即位年」…【・181万9961年】
 …(・31鈴332枝41穂/在位28万2077年)…

 

(4)…「ニニキネ尊〜ホホデミ・即位年」…【ぁ210万2038年】

…(ぁ36鈴33枝58穂/在位40万8982年)…

 

(5)…「ホホデミ尊〜ウガヤフキアエズ・即位年」…【ァ251万1020年】

…(ァ42鈴850枝20穂/在位48万8960年)…

 

※…【日ノ本・カミ代物語の終焉】(ウガヤフキアエズ・崩御年)は【・299万9980年+20年300万年
…( ウガヤフキアエズ尊崩御年・50鈴999枝40穂/299万9980年+注天鈴暦20年=300万年)…

     《以上…【50鈴木年】(1鈴木6万年×50鈴木=300百万年カレンダ−)の終焉
 

…日本の【カミ代物語】(秀真伝)の【鈴木暦】(スズキコヨミ)によると、「天照大神生誕年〜ウガヤフ キアエズ尊迄」の、 統治年は【満179万2420年】(日ノ本・カミ代物語の終焉迄)となる。そして、「神日本磐余彦(カンヤマトイワレヒコ)による「長髄彦・討伐開始年」(満アスズ50年)数値を加算すれば満179万2470年となる。

 

…「天鈴暦20年」(カミ代終焉・その最後の20年の意)の意は、【日ノ本・カミ代物語】の鈴木暦年(300万年)中の数値だが、そのカレンダ− 最後に当る1鈴木年(1000枝=6万年)の、その「カミ代・終焉期に当っては、「20年」の期間は無暦時代として『秀真伝』文書は記している。そして、この無暦期間に対し【アスズ・コヨミ】(天鈴暦)と命名したカレンダ−を当てたとも記しているが、その本質は【秘儀数値・20】の存在を示唆したものである。つまり、この【数値・20】が意味する処は、【フトマニ】(太占)の存在である。換言すれば、この【太占】(フトマニ/20&15+45=80/ヤソ平瓮の数値(完全数 8128=ヤチマタ&128祝詞歌数値)を用 い、『秀真伝』の作者は【日ノ本・カミ代物語】(枠物語)を創案した。つまり、カミ代時代の【鈴木・カレンダ−】(300万年迄)終焉後に於ける「ヒトの時代」の物語は、既に完成させていたのであった。ちなみに、【ヒト時代】のカレンダ−(コヨミ=木読)に対しては、「1鈴=1年」と定義し、尚、【60年循環数値】(ヱ・ト暦)を併用したカレンダ−を作成しいた。それは年数や日数を言い表すコヨミ(木読)と造語し、尚、【アスズ・コヨミ】(天鈴847年で終了)と命名し、【1000年枠・物語】を構成する「暫定的なコヨミ」として用いている。そして、その「アスズ・51年/キミヱ」(甲寅)の時として、【長髄彦討伐・開始年】(九州の宮崎から討伐軍が出航した)として設定したのは、【死海文書】(1947年発見) の《メルキゼデクテクスト・11QMelch》の内容を取り込んだ事を意識しての事である。要訳すれば、「フトマニ数値8128+アスズ51年=8179年」となる。この数値に対し、更に【カミの顕現数値31】と【千木の語元数値1000)、そして、【皇歴年数790】(天鈴暦による在位通年)を加算すれば、「完全数 8128+最終戦争開始年51+カミ31+千木1000+ナコソ790=1万年」(ヨロズ年)の数値になる。従って、この【1万年・枠】を用い、カミ(上=31)の顕現数値(大地震年迄の創世記年数値)を基点として分割し、その残りの数値の中に【ホツマ・皇歴年数値】(790年迄)と【千木・数値】を組み込んだのである。これらの数値から残った数値に対しては、【天使・エノク週 4900年】(空這う子=天使)。及び、【アメノミナカヌシ】(天御中主)の語元(語源の意ではありません)の数値を組み込んでいる。つまり【長髄彦・討伐物語】が意味する処は、【恩恵】(ミタマノフユ)の義が全うされた事を意味表している。従って、『日本書紀』(神代上第八段)によると…「百姓は恩頼(恩恵)を受けていた」(百姓=ヲヲミタカラ/恩頼/恩恵…秀真23章&39章に記載)と記述している。 

 

★…『秀真伝』(ホツマツタヱ)の【天鈴暦・皇歴年史】(初代〜第12代迄の在位通歴は790年迄)。
 

*…初代「カンヤマトイハレヒコ/幼名タケヒト」(在位・76年/満75年)…○檀陝米本書紀の漢字表記)
*…第2代目「ヌナカワミミ諡ヤスキネ」(在位36年)          …√渓
*…第3代目「シキヒト諡タマテミ」(在位38年)                      …0打
*…第4代目「オオヤトヒコ諡スキトモ」(在位34)                     …へ徳
*…第5代目「カエシネ諡ミルヒト」(ミアエ/1年空位後…在位83年)    …スЬ
*…第6代目「タリヒコ諡オシヒト」(在位102年)                      …孝安
*…第7代目「ヤマトフトニ諡ネコヒコ」(在位76年)                   …Ч霊
*…第8代目「ヤマトクニクル諡ネコヒコ」(在位57年)                 …┨Ц
*…第9代目「ワカヤマトネコヒコ諡フトヒヒ」(在位60年)             …開化
*…第10代目「ミマキイリヒコ諡ヰソニヱ」(在位68年)                …崇神
*…第11代目「イクメイリヒコ諡ヰソサチ」(在位99年)                …垂仁
*…第12代目「ヲシロワケ諡タリヒコ」(在位60年/在位通歴790年)     …景行

 

※…『秀真伝』の天鈴暦58年がタケヒト即位1年目であると共に【幻の西暦1年目】に当る。
※…「孝霊天皇・即位元年」(在位通暦371年)−124年(下記…秀真15章を参照)=A,D,247年(卑弥呼死去年

 

★…【ヒト世代の始まり】(秀真15章/アメナカヌシ=370/カミ祀る)…

 

…『秀真伝』御食なれそめのアヤ(15章)の、「天照大神、在位24万240年時のミコトノリ(詔)」(前文略)によると…「フテシシ(獣)は、食えば生きもの、腐りかけ、カミ(上=YΑΟ/God)と中絶え、イミ(忌)コヤニ、 みとせ(3年)ススシロ(大根)、シラヒゲ(白髭命)も、ハシカミ(薑)食(ハ)みて、垢そそげ、やや人と成る、諏訪のカミ」(中略)…「我が常の御食(ミケ)、千代見草、世の苦菜より、モモ(百)苦し、苦菜 の御食に、永らえて、民豊(タミユタカ)にと、国治、我見るススキ(鈴木暦)、チヱヨタビ(千枝4度/6万年×4=24万年)、我が身も今年、フソヨヨロ(24万)、今だ盛りの、カキツバタ(杜若)、後モモヨロ(100 万)オ、フル(降る/100万+24万=124万/179−124=55+91+78+141=365)も知る、クスヒ(熊野の人物)良く聞け、ココリ姫、語れる事は、トコタチ(国常立尊)の、ヤモ(八方)お回りて、西の国、クロソのツミテ(罪手)、【カノサツチ】(ホカミ・ ヒタメ/790)、名もアカカタ(赤県)の、トヨクンヌ(第5代目・豊受君)、代々治れど、年お経て、道尽(790)きぬるお、ウケステメ、ネ(北)の国に来て、タマキネ(玉杵尊)に、良く仕ふれば、身に応え、ココリのイモ(妹)と、結ばれて、山のミチノク(道奥/ナコソ=790)、授けます、喜び帰る、ウケス  テメ、コロヒン君(シルクロ−ド南側の山脈/昆論山の君)と、チナミ(地波)会い、クロソの積もる、御子生みて、西の母(昆論山の西王母)カミ(上)、マタ来たり…(後文略)。

 

※…上記文面はヨソタリヒメ(2代目・卑弥呼)による【フユの鏡・魂入祭祀】年(A,D,240年)の存在を物語る。そ の始まりは【ΙΑΩ】(ヤオ/現在は大阪府八尾市の地名)にあった。

 

…「サオシカ(カミの使い)ノ、ヤツ(8声)ノキコエニ、アラハレテ、イノレモガモト、ミモスソノ、タミオナ デツツ、サオシカ(カミの使い)ノ、キヨキニカミハ、アリトコタエキ」…
 

…【カエシノトウタ】(返し祝詞歌)…「ヒトツネニ、カミニムカハバ(東に向かう)、ヨノミミ(世の耳)ノ、アカ (垢)ハアモト(言葉の始め)ノ、サオシカニ、キヨメタマヒテ、【サコ】(600)・【クシ】 (60)・【ロ】 (万/カミの居場所/西=天鈴55年値点)、【フユ】(冬・寝/Τ)ノ【カガミ】ニ、イルトオモエバ」(秀真・28 章)。この…《サコ・クシロ》とは「垂仁天皇26年」から660年溯れば、カミ(上)の基点値点(カミの居場所/YΑΟの語元値点)に辿り着く意が秘められている。

 

…上記を要訳すれば、【卑弥呼・年号鏡】年(景初3年=A,D,239年)の翌年(A,D,240年)に、フユの鏡・魂入 祭祀祭儀が行われた事が解る。この【入魂鏡・祭儀】が意味する処は、カミΙΑΩ)の国・建国思想の定義付け」であり、それは又、「ヒト(語元数値…1&10)の 世代による【ヤマト国家・創建】に向けた儀式でもあった。その建国思想を構築する思想の核とするのが【フトマニ】(太占)に集約された文字言語数値(ゲマトリア数値)である。そのゲマトリア数値に対する、「考古学的・存在証明」と致しましては…《荒神谷遺跡=括り銅剣358本発見》…及び…《加茂岩倉遺跡=銅鐸39口出土》…である。つまり、この銅剣と銅鐸の一括的な出土状態が意味する処は『秀真伝』(ミマキイリヒコ条)の記述内容に関連していて、その記述内容は、『日本書紀』に取り込まれている。その内容に対し、秘儀数値を以て要訳(次に記す)すれば…

 

…【A,D,240年】(卑弥呼・祭祀年)+【10×39= 390】(39/ヒトの語元数値)=【630】(ワリウルリ370=エノク/天御中主 尊の語元)となる。この数値は、「エゼキエル預言の成就」を意味表す数値である。

 

※…筆者説…出雲(島根県)の《加茂岩倉遺跡=銅鐸39口出土》数値は、「ヒト=Man」の語元数値である。又、出雲の《荒神谷遺跡=括り銅剣358本出土》数値は、「日本創建思想」の数値であった。

 

※…先述(秀真15章)の「後モモヨロ(100万)オ、フル(降る)も知(124万)る」の語意には「240+100=340」口にすべからずカミの御名と、「340+124=464」(ダビ デ)の、その双方の数値を示唆している。

 

『神道五部書・倭姫命世紀』
 …(下記/アメ−バ・ブログURL… http://linkis.com/ameblo.jp/erusaremu4/Mmr0b )…

 

★…(前文略す)…「そもそも倭姫命世記といふ書は、北畠准后(ジュウゴウ…北畠親房の意)の、元 々、集行忠神 主(度会行忠)の神名秘書(伊勢二所太神宮神名秘書)なとに、ふるくより、引載られたと、後世には、たえて、つたはらぬ、かこ、と、なりにたりしを、めつらかに、保可あかた主の家に、もちつたへられたることの、世にあらはれて、ね(300=魂 /IHVHの数値)もころに、人々のこふには、いなみもえやらす、みつから寫して、おくられたりしを、はしめにて、つきつきにうつし、傳へつゝ、世のなかには、ひろこりたるものにて、まことに、この古本こそは、今の世にありと、ある本ともの親とも、おやとたゝへつへき、もとつ 本(元ツ本)にはありけれ、おのれ年ころ此記をあまた、挍へあはせたりけるに、いふかしきふしとも多かりしを、今、この古本をみれは、朱をて、かき入たる文の、流布の本には、はやう、本文のことくになりたるや、うつし傳ふる人々の、こゝろ、こゝろに、かき改めたる文字や、なにや、くれやと、寫しひかめたりけることの、さたかに知られて、かの、いふかしかりし、ふしふしも、おほかたは、思ひはるけにたるか、いとうれしくて、なほ、後々に、よみ考へ むたよりともせむとかくしも寫しをへつるは、安政(A,D,1299年〜A,D,1301年)の、三とせ(3年…A,D,1301年/満1300年)、ふつき(7月)の、廿日あまり、ひと(1)ひの、日(安政3年7月21日)、かくいふは、ちとせ千年=A,D,1299年・己亥−1000年= A,D,299,年・己未/299年+179(アキニ)=浦島伝説雄略天皇22,年=A,D,478年に当るのゝちの、今のよに、ふること、しのふ」…と記述(句読点は読みやすくする為に筆者が入れた)する。

 

…【北畠親房】(著)の『神皇正統記』は「元弘年間/A,D,1334年頃の書に書かれていて、それより『倭姫命世紀』(神道五部書)の元典(伊勢二所太神宮神名秘書の方が先に書かれた文書である。尚、『神皇正統記』では、「 織縫縫ネ尊・30万8533 年」。「◆織曠曠妊濛此63万7892年」。「/ウガヤフキアエズ命・83万6043年」(´↓9膩廖178万2468年)と 記 すが、この合計数値の記載はない。ちなみに、その3つの数値を合計してみれば、『倭姫命世記』に記す「179万2477年」より「1万9年」(178万2468年+1万9年)少ない数値になる。従って、『神皇正統記』に記す「´↓の在位年数値」の出処は、『倭姫命世紀』ではない事、明らかである。

 

倭姫命世紀』に記す【日ノ本・カミ代物語】の歴年数値(鈴木暦年)…

 

 …【カミ代・歴年数値】(倭姫命世記=神道五部書)を次に記す

 

*…治天下卅(30)一万八千五百卌(40)三年(31万8543年)。是時天地未遠故以天柱擧於天上焉天津彦ゝ火瓊ゝ杵尊(ニニキネノミコト)(天忍穂耳尊太子也/嫡男はホノアカリ尊)。

 

*…治天下六十三万七千八百九十二年(63万7892年彦火ゝ出見尊の尊

 

*…治天下八十三万六千卌(40)二年(83万6042年彦波瀲武鸕鸕草葺不合尊(ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)。

 

…【倭姫命世紀】には、「神日本磐余彦天皇…暉多歴年所自天祖降跡以逮于今一 百七十九万二千四百 七十七年」(179万2477年)と記す。然し、この数値は『日本書 紀』の数値より「七年」多い。それは、『秀真伝』文書に記す【天照大神・生誕年】を七年(秀真伝は、臨月から八年を経た正月早朝の誕生と記 す)溯った計算をしたからと考えられる。

 

…『世界大百科事典』によると…「A,D,1285年」(弘安8年)に著した『伊勢二所太神宮神 名秘書』(1巻) は『神道五部書』を中心とする初期の伊勢神道の所説を明確にしたものとして,後の神道家たちに大きな影響を与え,「A,D,1299年」(正安1年)頃(神道五 部書・倭姫命世記にはA,D,1301,年と記す)に纏められた『古老口実伝』(1巻)は,神宮まざまな問題についての度会氏の家伝を纏めたものとして,重要な書である。その 他,明確な証拠はないが,行忠の手になったものとみられる神道書は少なくない」。と 記す。

                       

…【缺史八代説】は不要の長物である…
 

…我が国の、戦後(1951年9月8日調印・1952年4月28日に正式的戦争が終結す)に至って は、戦前迄、即ち、 本居宣長や平田篤胤等の江戸後期の国学を引き継ぐ文献史学者達は、アメリカの進駐軍(GHQ)によって「軍国主義者等の公職追放指令」で排除された。それで戦前の優秀な古代史研究者達は追放され、その埋め合わせとして【GHQ】(連合国軍最高司令官総司令部の略称)の意向に添った人達が後を引き継いだ事により、現在我が 国の古代史 学は、全く、その体を成し得ていないのが現状である。その証拠の1つとしては、松本義之助(ヨシノスケ) 氏の尽力に因って『秀眞伝(ホツマツタヱ)』文章が再発見(昭和41年・1966年)されたが、当時の文献史学者達は、再発見の『秀真伝』文書に対し、何の手だてもする術を知らず、唯、無視を決め込むばかりで、現在も、尚、その状態が続いている。

 

…現在の我が国の【国学】(戦後に確立した学問)とは、「国語学」であり、日本の歴史学の分野ではありません。 ちなみに、国語学者の小松英夫氏の著書『日本語はなぜ変化するか』(笠間書院)によると、「国学とは国語学である」(大野晋説/日本語のル−ツはタミル語説に対しても否定している)と等と記している。つまり、日本の【国学】とは、国語学の事であり、それも「奈良時代(710年〜794年迄)以降の言語(万葉仮名言語)については全く解らない」と言う。早い話…「今の我が国には【日本建国史学】等の学問は存在しない」という事である。
 

…【日本国家・建国史】の研究に関しては、「在野の研究方式」が、日本の古代史学者達よりも進んでいると私は考えます。その一端を記すとすれば、『日本書紀』の長髄彦討伐開始年として『日本書紀』に記す「179万2470年」の数値に対し、我が国の文献史学者達は何の説明も出来ないのが現状だからである。その天文学的な数値は、『秀真伝』文書の「カミ代物語」(秀真・4章)の中に記す【ウヒルキ】(天照大神の幼名)の生誕年から、「長髄彦・討伐開始年迄」の歴年数値(鈴木暦/300万年迄)の数値であった。尚、この天文学的な歴年数値は、『秀真伝』文書が再発見されるより遙か以前(14世紀)の文書、つまり『神道五部書・倭姫命世紀』に、ハッキリと明記されている。この事を考えれば、戦後の文献史学者達は、「真の文献史学者」とは言えません。ちなみに、「故・藤田友治先生」(古代史研究者)の追悼式で、【王金林氏】(教授・天津社会科学院中日学術交流中心主任&『東北亜学刊』副主編)が言うには…「文献を選り好みする史学者は本当の文献史学者とは言えない」…と言われました。この事を思惟すれば、我が国 の歴史学に於いて、その古代史関連の文献史学者達は、「文献(秀真伝)を選り好みする人達の集まりである」。と言う事になる。
 

【缺(欠)史八代説】とは、戦前に於ける津田左右吉(ツダソウキチ/歴史学者/1873年〜1961年)の説であり、「/隻霤傾弔鉢崇神天皇の間には天皇は存在しない」とする説である。又、「崇神天皇、垂仁天皇、景行天皇、成務天皇、仲哀天皇」の存在も疑問視し、【欠史十三代・説】も主張していたとされる。この双方等の説を以て、津田左右吉は不敬罪(戦前)に当たるとして有罪判決を受けた。その後の戦後(第二次大戦後)にあっても、この津田説(缺史八代・説)が…我が日本の古代史学の主流となり、尚、現在に至っている。
 

…『秀真伝』文書の再発見(昭和41年・1966年)によって、「現在における【缺史八代・説】は不要の長物」でしかない事、然りである。つまり、我が国の「文献史学界」の人達は、未だ【缺史八代説】を棄てきれずにいる。そして又、我が国の国家創建時(A,D,1世 紀)から先史期(A,D,4世紀頃)にあ って、漢字が導入される時代(応神天皇時代)頃迄は、「我が国には文字は無かった」(神代文字の否定)とする説も棄てきれずにいる。従って「神代(ジンダイ) 文字・否定説」も、現在は考古学の発達によって「不要の長物である」といっても過言でありません。

 

…戦後、俄(ニワカ)仕立ての「日本国・文献史学」に於ける古代史学の人達は、『日本書紀』の紀年数値は嘘の紀年 数値であって、『日本書紀』の体裁を整える為、「偽りの紀年数値を書いている」等と決めつけていた節がある。従って、歴史的な年代が記されていない『古事記』(歴史小説に等しい)こそが最も本当らしいとして、『古事記』信奉者(本居宣長に関連する)達が、戦後に至っても、尚、その主流をなしていた。しかし、戦後の経済発展期あっては、高層建築時代となり、その基礎工事での地中深く堀り下げる作業の中で…「古代紀の年代を記した遺物」(昭和47〜48年頃)が出土した。その出土遺物を鑑定した考古学者の発表では…「『日本書紀』の紀年数値は正しかった」…として各新聞が報じた。この「歴史的紀年数値入り」遺物の出土以降、『日本書紀』が日本の本当の歴史書としてハッキリと見直される事(古事記は歴史書ではありません)となり、現在に至っている。

 

…つまり、我が国の戦後(昭和20年=1945年終戦)にあっては、「日本古代史専門の学者は我が国に居なかった」と言っても過言でありません。その 証拠の1つとしては、『日本書紀』に記す天文学的数値、即ち、【秘儀数値…179萬2470年】の謎解きに対し、戦後から現在に至っても未だ誰も解明してないからである。つまり、始めて出土した「&

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2018.06.29 Friday

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    …此のブログは、長文(知らない間に文字オ−バ−)だった為、途中で文章がいきなり削除されていました…従って、此の続きは後日といたします…宜しく…
    • by 秀真太郎
    • 2017/07/16 7:22 PM
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