日本語のル−ツ「メネメネ、テケル、ウ・パルシン」

2017.07.17 Monday

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日本語のル−ツ「メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン」        

 

 

【メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン】(黙示/ダニエル書5・24〜25)

 

…此の文書は、1つ前年20174月の投稿記事)に投稿した文面の続きと致します。つまり、知らない間に文字オ−バ−に成っていて…《缺史八代説の否定》に対する結論(無用の長物となった)の部分が抹消された文面になっている事に三ヶ月を経た昨日、ヤット気が付いたからです。つまり、その結論部分が途中でバッサリ抹消された形の表記になっていたので、先ず、最初の処は、其の結論部分(缺史八代説は無用の長物)を補う文書とし投稿する事と致します。

 

…下記に【追記】(2平成29年=017/07/31・月曜)… 

 

…【メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン】 (日本語の始まり)…
…【黙示書】の「ダニエルが開発し設定した【日本語・ヤマトコトバ】… 

…【ダニエル書】(5・25)によると、【Mene(メネ),Mene,Tekel(テケル),U(ウ)・Pharsin(パルシン)】。つまり「God(カミ) of(の) finger(手先)が現れて書かれた誰も見た事が無く読めない文字」。と言う文字に付いての説明が書かれている。つまり、「カミ(God)の手先(finger)」が突然現れ、宮殿内の壁に「誰も読めない文字」が書かれた。そして、バビロン(カルデア)王の前に呼び出された捕囚でユダヤ民族のダニエルは、その文字内容を解き明かした。

 

…その文字(秘儀数値は筆者説の挿入です)、【Mene】(メネ/700&39)とは、「カミ(God)が貴方の治世を数えて終わらせた」。次の【Tekel】(テケル/148)とは、「貴方がハカリで量られて目方が足りない事がわかった」。次の【U】(ウ/303)に付いては言及が無い。その次の【pharsin】(パルシン/313&48)とは、「貴方の国が分割され、メディヤとペルシヤとに与えられる」。等と言う内容であった。そして、その日の夜、そのカルデア(バビロン)王は殺された。その後(BC538年)、バビロンを倒したペルシアのキュロス二世は、ユダヤの捕囚に対し、【祖国帰還許可勅令】を発布した。 

…【メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン】に対し、ゲマトリア(文字&数値転換・解読方式)を用いて読み解けば、「メネ700+テケル148+ウ30+パルシン313=満・1190」となる。此の合計数値(1191)は、【脱・ユダヤ教】を目指した【ダマスコ契約・秘儀教義宗団】(後に言うQumran Sect/クムラン秘儀教義宗団)のトップグル−プの人達は、【カミ(上/God)の顕現年】数値(BC31年/ヘロデ王の7年)として取り込んだ。又、最初と、2番目の合計数値、すなわちメネ700+テケル148=満847」の数値は、我が日本国(ホツマ/ヤマト国)の創建史の部分に当る文書の作成に当たり、暫定的カレンダ−(アスズコヨミ=天鈴木読/暦)の歴年数値として取り込んだ。

 

…つまり、【日本人の正典】(Bible=聖書)を構成し作成するに当たり、【Qumran Sect】トップグル−プの子孫達(天児屋=アメノコヤネ/他、レビ族等)は、【アスズコヨミ】(天鈴木読/Calendar)を作成するに当たり、先述に言う「メネ(700)+テケル(148)=満847」の【秘儀数値】を用い、『秀真伝』文書(聖書)の歴年数値とした。。何故かと言えば、古代(A,D,1世紀中頃)、地中海沿岸文化圏にあったユダヤ民族の歴年数値(B,C,31年=ヘロデ王の第7年時から継続〜幻の西暦71年目)に接続させる為である。 

…現在に言う、「神武天皇・即位1年目は」に対し、「紀元前(B,C)660年」とされているが、その秘密が此処にある。つまり、『秀真伝』文書に取り込んだ【秘儀数・満847】(天鈴暦847年)を以て説明(解明済)できる。それは、【天鈴暦】は、暫定暦であって、「660年間を底上げしたカレンダ−」(サコクシロ・ゲマトリア数値の挿入)だからである。 此の、「660」(サコクシロ)を、八尾の初出年(秀真伝・29章)の数値(天鈴木読55年=オシヱ/戊午)に加算(満714年)すれば、伊勢神宮建立年(天鈴暦714年/在位通歴657年)になる。従って、此処に言う【ホツマツタヱ】(秀真伝)と【ミカサフミ】(三笠文)文書とは、【日本人の正典】(ギリシア語kanōn/葦・竹等の意…丈昇るの意が竹の語元である)として書かれた文書と言う事になる。ちなみに、Bible(正典)の語元も、ギリシア語ビブロス(byblos/現在のレバノン=大陽が日が昇る意)に由来する。つまり、「B,C,3000年頃からフェニキア人の港とし栄え、パピルス(紙の原料)の貿易港だったからである。

 

…倭語【カミ】の語元(語源の意ではありません)は、先述の【Bible】と【Kanōn】の頭文字を用いての命名であった。尚、それは初期的造語(言語)である。つまり、秀真文字に秘められた倭語ゲマトリア方式に当て嵌めれば…《【B=カ】・【K=ミ】》…となる。従って、ユダヤ民族の唯一神【YHVH】(ヤハウェ)の別称とする【ΙΑΩ】の呼称としては、倭語の数値言語に当て嵌めて【ヤオ】(507)と命名(現在の八尾市の名称)した。では、その元初に於ける【カ・ミ】(ΙΑΩ/ヤオ)を最初に祀った場所は、一体全体何処なのかと言えば、それは【タコチ神社】(八尾市・竹渕)である。従って、此の【竹淵郷神社縁起】(光正寺文書)には、【日本建国】(神武天皇即位以前)の出来事が、確と明記されている。

 

…ちなみに【タコチ】の語元は、【千年枠・物語】を構成する【枠・数値】、即ち、【1000/千】である。此の数値構成は、先ず、【シャム/ShM=340】(アドナイ・ADNI=彼の名前がシャム)と、その友愛数【660】を用いて設定した。つまり此れが、【チギ】(千木)の語元(ΠΠ160+完成の意1000=1160)であるが、此の数値のル−ツは、「ネメ、ネメ、テケル、ウ・パルシン」(Mene,Mene,Tekel,U,pharsin/ダニエル書5・24〜25)である。つまり、【日ノ本建国・創建史】(カミナフミ・文字文書)とは、【千年・枠物語】(日本建国・創建史)の事であり、それが、【ホツマツタヱ】(秀真伝)と【ミカサフミ】(三笠文)文書である。此の物語を創案した人達が居住した地域に対し、【ΙΑΩ】(ヤオ/現在の八尾市の名称)と言う。此の【ΙΑΩ=ヤオ】とは、ユダヤ民族の中で、唯一、カミ(ヤハウェ)の祭祀業務を司る役職を受け持つ【レビ族】が用いた呼称であった。此の呼称に対し、【元始・ヤマトコトバ】(倭語の始まり)として設定するに当たり、従来の【ゲマトリア/Gematria 】(文字&数値転換・解読方式)に対し、新たな【倭語・ゲマトリア方式】(三角数の取り込み)を付け加えた。従って、その三角数の中の【完全数】 (496&8128)を用いて【フトマニ】(太占/8分割128歌)を設定し、【千年・枠物語】の枠を二分割した。その二分割の目的は、暫定的に設置した【天鈴木読】(アスズコヨミ)を、創世記の歴年数値合致させるためであった。

 

…つまり、【元始・ヤマト言葉】による数値言語【ヤオ】(三角数の合計507)の言語数値には、或秘密事が秘められていた。それは【ダニエル書・9:25】の…「エルサレム再建命令〜油そそがれた者、君主の来る迄が7週。また62週の間(69週×7=満483年)、その苦しみの時代に再び広場となり堀が建て直される」。と言う、その【秘儀数値・483】の意である。従って、此の数値の辿り着く数値年(A,D,477年/雄略天皇21年) が、伊勢神宮の【内宮・式年遷宮】に当たり、その翌年(A,D,478年/戊午7月7日)を以て、外宮に【豊受】(トヨウケ/ダビデ数値に起因)を勧請したとして、【太神宮諸雑事記第一】に記述されている。尚、【ヤオ】に言う「三角数507の行き着く数値年」に当っては、「第26代・継体天皇の即位年」(アドナイ340+崇神天皇在位68+垂仁天皇在位99=A,D,507年)の数値と成っている。此の上記の内容は、【ヤオ】(507)の初出年として定義し、明文化した文書『秀真伝』に記す処の…【八尾え退く】(秀真・第29章)…と記す文言を読み解く事によって、筆者(小島 宏)は読み解く事が出来た。然し、此処の文言は、後年、漢字に書き換えられた【日本紀】(逸書)に於いて完全に抹殺されていた可能性がある。従って、現在の漢字文献『現存・日本書記』(国史大系1)に於いても抹殺されている事から、その元典に当る『秀真伝』に記述している、その文言部分を抜粋し、下記に掲載する事と致します。

 

★「前文・略す」下記のホツマ文字(幾何学的形状文字)記述の文面は、『現存・日本書記』(漢字文書/国史大系1)に記す処の…「戊午(天鈴暦55年=ヲシヱ年)・皇軍(磐余彦軍)が胆駒(イコマ)での戦で苦戦し、退却した」。とする記述部分に当る。


 


 

 ヰツセ皇子  肘オ射ラレテ

 進ミエズ    皇子 触レル

 謀事      吾ハ日ノ孫

 日ニ向カフ  天ニ逆エバ

 退キテ     カミ(上)オ祭リテ

 日ノママニ  襲ハバ仇(敵)モ

 破レント    皆 然リ トテ

IAΩエ 退ク  仇(敵)モ迫ラズ

 御船行ク   チヌ(和歌山県)ノ山キデ

 ヰツセ罷ル  紀ノ竃山ニ …(後文・略す)。

 

…此処で何が問題なのかと言えば、 「IAΩエ退ク」の文言が『日本書紀』では、「抹殺されている事」である。

 

…何故、此処、「ヤオヘヒク」(八尾へ退く)の文言部分が重要かと言えば、【逸書・ミカサフミ】(三笠文)、然り、此の『ホツマツタヱ』(秀真伝)文書の作成は、歴史書として最も重要な事、つまり、歴史書とすれば、その歴年の始点、又、皇歴年(在位年)の起点年の設定が先ず第一である。従って、【カミ】(ΙΑΩ)が創建した【ヒノモト・クニ】(日ノ本・国)の始まりとして定義し、尚、その【ヒノモト・クニ】の創建年を世界暦(ト−ラ=モ−セ5書の創世記に始まる歴年史)に対し、どのように合致させるかが問題となる。従って、カミ名と称す文字(現在に言う秀真文字)を用いた文書を用いて構築するに当っては、暫定的に施行した【アスズコヨミ】(天鈴暦)の中の「天鈴55年」(オシヱ/戊午)数値点を以て、【ヤオ】(507/祭祀所の地名)の初出年(カミの顕現年基点数値29)とした。つまり、此処の部分が最も重要な処として明記していたのである。つまり、此の【ヤオ】に関する文言(八尾へ退く)部分は、【日本国家・創建史】(千年・枠物語)の謎を解き明かす鍵(キ−ポイント)だったからである。

 

…我が【日ノ本・クニ】に於ける元初の【ヤマトコトバ】とは、秘儀数値(ゲマトア)を組み込んだ文字言葉として設定した言語である。その数値言語を用い…《【チタルタマ】(千/満999)−【カミの言語文字】(22)−【ΙΑΩ=ヤオ】(三角数507)−が創建した【クニ】(ゲマトリア50)=420…。従って…《【ヰヤ】(58)・【】(÷2=29/カミΙΑΩの顕現起点数値)・【】(×10=580)、通る(420+580=1000/千木の語元)、ヤマト(580)・クニカミの恩恵数値50)】》…と言う。ちなみに、此処に言う「カミの恩恵」とは、「メルキゼデクテクスト・11QMelch」(死海文書/1947年発見)の成就(finish)を以ての恩恵を意味する。尚、【日本国家】(ヤマト)成立後に言う恩恵(ミタマノフユ)に対しては、現在は「百姓」(日本書紀/第八段)等と訳されている。

 

…当時(紀元前後頃〜1世紀中頃)としては、地中海沿岸文化圏国等と交易していた後漢との接触を以て、世界史との接点(AD57年/金印=漢・委奴・国王/3行文字/建武中元二年)を試みていた。ちなみに、その第1歩としては、既に、紀元前2年の時(後漢の哀帝・元寿元年=BC2年)、ペルシア(アケメネス系)の遊牧民族とされる大月氏国の使者(伊存景慮/イソンケイリョ)が…「仏教を口伝す」(中国学芸年表)…と在る部分に関連する。つまり、此の時の大月氏国の使者に付随し、【Qumran Sect】(クムラン・秘儀教義宗団)トップグル−プ(バビロンを居住地とする)の人達は、前漢の王氏【莽】(王莾)に会っていたからである(筆者説)。

 

…後年に言う、【讖緯説】(革命勘文/三善清行/唱泰4年辛酉=延喜に改元・AD901年)は、元を正せば…「BC2年に大月氏国の使者が前漢の哀帝の処に会いに行った事」(BC1年に哀帝の不自然死/暗殺?)…に起因する。早い話が、「BC221年/秦(China)〜BC206年/前漢〜AD9年/王莽〜AD25年/後漢〜戦後の中国」(AD1949年=昭和24年〜現在に至る)迄の歴年史にあっては、此れらの年代史には、全く、【干支年】が存在しない事を、肝に銘じて知る必要がある。

 

…漢字表記言う、【干支年】表記の起元は、我が日本国の歴年史に起因する。その始まりは、【ホツマツタヱ】(秀真伝)と【ミカサフミ】(三笠文)文書を、歴史書として構成するアスズコヨミ(天鈴暦)の…《【ヱ・ト】(兄・弟)コヨミ》…表記が元典である。此の「カミ代・文字表記」を、漢字に変換した事により、ヤット始めて干支年と言う事が出来るのである。ちなみに、【広(廣)開土王碑】の碑文(AD414年に設置)にあっては、その干支年の年代設定は、全く、我が「日本国の歴年史表記」に合致させての紀年方式であった。

 

…話を元に戻せば、その【IAΩ】(ヤオ/現在は大阪府八尾市の名称に成っている)の語元(語源の意ではありません)は、【カミ】(God=ὁ θεὸς/ホ・テオス)の御名(レビ族が用いた名称)であった。そして、此の【IAΩ】(God=カミ=上)を祀っていた地域が【タコチ】(竹渕/大阪府八尾市竹渕の町名)である。此の事は、【竹淵神社・由緒書】(竹淵郷神社縁起)に明記されている。つまり、『秀真伝』(ホツマツタヱ)文書は、意図的に此の【IAΩ】の地名を【長髄彦討伐・開始年】(天鈴51年)から「3年目/天鈴暦55年・ヲシヱ=戊午」(BC3年に当る)として設定し、その初出年とする物語を作成していたのである。此の肝心な部分の単語(ヤオ)が抹殺された事によって、我が【日ノ本・建国創建史】部分が、歴史的闇の中に投げ込まれたと言っても過言でない。

 

…下記に【追記】(平成29年=2017/08/04)…『先代匶事本紀大成經』(72巻本)…

 

…【IAΩ】(ヤオ/八尾)に対し、倭語に言う「ヤオ」の文字を当て、此の地名の初出年(秘儀数値・536/過去の歴年史関連付けの為)として、【神武天皇・即位年】(AD1年目に当たる)として定義し、設定したのは、古代ユダヤ民族史の歴年史に刻まれている「捕囚・解放年」(BC3年から数えてBC536年に溯る)に合致させる為であった。尚、イスラエルの唯一神( Y H V H =AΩ)を、此の数値年を起点年として、「カミ(God)の存在(天使=空這う子)を意図する数値」(アドナイの御名シャム・340+サコクシロ・660=1000/千/Χ=千木の語元)を用い、【タコチ】(秘儀数値・1000)と命名し、此の値点(BC3年/八尾の地名の初出年)の数値から「660年」(サコクシロの語元数値)の値点(在位通歴657年/垂仁天皇26年に当る)を用いて、【伊勢神宮・建立年】(内宮に天照大神を祀る)、及び、【豊受カミ・祭祀年】(外宮に祀る)として定義した。従って、此の、予め設定した【千年・枠物語】が意味する処は、「タケヒト(初代・神武天皇)〜ヲシロワケ(第12代・景行天皇」(在位通歴・790年)迄として、尚、その枠内の分割としては、【完全数】 、及び、天使の数値言語に言う【アメ・ナカヌシ】(天・中主)を意味表す秘儀数値(370)を用いて分割し、それは…【日本人の正典/Bible】(ホツマツタヱ&ミカサフミ文書)としての文書を作成する為であった…そして完成させたのが、【ホツマツタヱ】(秀真伝)&【ミカサフミ】(三笠文)文書である…此の文面を最初に漢字に変換し取り込み作成したのが、『先代匶事本紀・大成經』(72巻本/聖徳太子時代とされる)である。従って、此の【72巻本】(先代旧事本紀大成経)の「詠歌」の処で、『秀真伝』文書が初出となる【マワリウタ】(回り歌/始めから詠んでも後ろから詠んでも同文字の歌)が取り込まれている。つまり…

 

…(72巻本/最初の廻り歌)「斑鳩宮皇太子の歌」(聖徳太子の歌)として…「 長且夜之、十之睡、之或窹(ゴ)、波乗舟、之音之善且哉」(詠回哥/マワリウタ)…と記す。然し、此の漢字文言を廻り歌(31文字)に変換する事は到底不可能である。然し、「ナガキヨノ、トヲノネブリノ、ミナメザメ、ナミノリブネノ、ヲトノヨキカナ」(基本31文字歌)と振り仮名が付けてあるから不思議である。又、此の返し歌が、「免道(ウチノ)皇太子の歌」として記載されている。ちなみに、その歌は… 「来然日要、松之栄葉于、琴之音之、床于者君、綈厥厥戀然且」(廻り歌)…と記し、此の、漢字文言(歌)にも【定型詩・和歌】(31文字)の形式を用いて振り仮名が附されている。即ち、「キシイコソ、ツマヲミギワニ、コトノネノ、トコニワキミヲ、マツゾコイシキ」(1文字1音の神名文字による31文字歌)と付されている。此の双方の【廻り歌】とは、読んで字の如く…「始めからも後ろから読んでも同じ文面」になる。つまり、此の、双方の歌は、先ず【ヒルコヒメ】(天照大神の長女)が恋歌として歌い、【オモイカネ】(サオシカ=勅使)が、その返事の歌として、廻り歌を用いて返答した。此れを切っ掛けとして2人は結婚し、住み着いた処が現在阿智村(長野県)と呼ばれている。

 

…早い話が、【ホツマツタヱ】(秀真伝)と【ミカサフミ】(三笠文)文書に記述されている、「1文字・1音の仮字文字」による和歌、即ち、双方の廻り歌に対し、漢字の当て字を以て、漢字文書『先代匶事本紀大成經』(72巻本)を作成したのである。此の事は、【神代皇代大成經序】を読めば解る事である。つまり、【カミ代文字使用・七氏族】(吾道(我古法=西極筆法者・カバラ?)/物部/忌部/卜部/出雲/三輪/中臣)の事。そして、神武天皇の時として、「枚岡宮(東大阪市)に天種子が隠し置いていた土笥」(神代事跡紀)が、小野妹子に発見された事。又、秦河勝によって、「三輪の大物主文書が隠し置いた文書」が、泡輪宮(四国)で見付られた事が書かれているからである。つまり、『先代匶事本紀大成經』(72巻本)の底本は、【ホツマツタヱ】(秀真伝)と【ミカサフミ】(三笠文)文書だったのである。

 

 

…【天・御(三)中主】カミの語元

 

…《アメヨロ(1万)道−創世記5100=4900エノク10週年》…此の【天使・エノク】(空這う子) に対し、【アメ・ナカヌシ】(天・中主)と命名。そして、【日ノ本・カミ代物語】では、倭語を司るカミ(上)の御名として取り込んだ。その倭語に言う【ミナカヌシ】(御中主)とは、つまり、ゲマトリア数値言語を用いて【ア・ウ・ワ】(370/太占の中心に設置した)と言う言語を語元(語源ではありません)とする。此の、ミナカヌシ(カミ)に対する秘儀数値は【370】である。従って此の数値の出処は…倭語【ア・ウ・ワ】の3文字(3中主)…を語元とする。此のゲマトリア数値【370】とは、『ブェ−ルを脱いだカバラ』(マグレガ−・マザ−ズ著)の解説によると、「マクロプロソプスの頭髪」(22全文字数+10ヨッドIVD+5ALHHMの文字数=37×10セフィロトの数=370)の髪先から【370】の光が放たれると記す。尚、此の、マクロプロソプス(隠された唯一神)の側で活躍するのが天使【エノク】(370の威光を有す)である。従って、我が日ノ本国を創建するに当っては、天使【エノク】を我が国の言語を司るカミ(上)として【アメ・ミナカヌシ】と命名。

 

…倭語【カミ=上&紙】(13&58)の語元は、ユダヤ民族に言う【Bible】(正典=聖書)を意味する言語【Bible】(バイブル/ビブロス…フェニキア人の葦の取引港)に起因する。それは古代ギシア語に言う【Kanōn】(カノン/葦/規則等の意)の頭文字を倭文字(秀真文字)の配列にそわせた数値を当て、倭語ゲマトリア言語として造語した言語が【カミ=紙】(Paper/紙)である。尚、此の倭語に言う【カミ=紙】の語根は、「Paper」(ΠΠ・ピピ)である。ちなみに、『秀真伝』文書によると、倭語【カミ】(紙=ペ−パ−)の語元は…「聖なるカミ(上=ΙΑΩ)に奉納する品物を包む為に考え出された和紙(水引を添える)」として説明している。敢えて【カミ=紙】と命名した意味は、此の【カミ】に付随する秘儀数値【13】は「 θεὸς」(テオス)の持ち物だからである。尚、シュメル語の【Gi/ギ】(アシ=葦/3+10=13)に対する秘儀数値にも合致する。

 

…此の【葦】に対し、B,C,31年以降、此の極東の島に渡海した【Qumran Sect】(クムラン・秘儀教義宗団)トップグル−プの人達は、倭語【タケ】(造語=竹/高く成長する意)の存在を尊重し、その竹が茂った地域(タコチ=竹渕)に、先ず、聖なる【カミ=ΙΑΩ】を勧請して祀った。そして、此の地域一帯(タコチ=竹渕/亀井/澁川付近一帯)に対し、【ΙΑΩ】(ヤオ/現在は八尾市の名称)と命名。そして、此の、カミ名【ΙΑΩ】(河内の八尾=大阪府)から、我が日ノ本国の国造に対するミコトノリ(詔)が発せられた。

 

…下記に【追記】(平成29年=2017/08/16・水曜)

 

「たこ焼き」の「タコの語元」は、竹淵神社(由緒書)に起因する… 

 

…竹渕(タコチ)神社は、江戸時代迄【天照皇大神社】と称した。明治五年(A,D,1872年)の近代社格制度によって村社となる。その創祀時期は不明とされるが、【竹淵(タコチ)神社・由緒書】(竹淵郷神社縁起)によると、【日本建国・創建史】時代に遡る。つまり、先ず、万治三年(A,D,1660年)に書写された『竹淵(タコチ)郷神社縁起』。そして、その後、更に書写(天保十三= A,D,1842年)された『竹淵(タコチ)郷社縁起』には、神武天皇による【長髄彦・討伐物語】に起因する内容が記述されている。ちなみに 『竹渕郷社縁起』によると(下記に記す)…

                                    『竹渕郷社縁起』(巻上)

 

…夫れ河内国澁川郷竹渕村ハ五ヶ郷の1にして、多迦不知(タカフチ)の郷と旧記も見え侍る。上古、神武天皇、日向国より磐船の山(ニギハヤヒ天降時の呼称=胆駒山)へ越(日下/孔舎衛坂の戦い)給ふ時、当国の長髄彦が襲いかかり奉りしに、当郷(八尾市竹渕)の大竹藪の中へ入り給ひ、暫く皇居し給ふを、長髄が目にハ…「深き淵の中へ入り給ふ神変」…と恐れ奉りて逃げ失せける。其時(孔舎衛坂での戦いの時)、天皇(後に言う初代神武天皇)、盾を並べて猛獣を防せ給ふ処を、今も盾津表(現在・東大阪市に位置する旧地名=盾津に関連する)と言いて、此の村の東(八尾市の久宝寺地域か上松町の澁川神社付近?)にあり。天皇上らせ給ふ道を神武海道といふハ、此の時よりの名、今に残れり。皇居の跡に【天照太神宮】を祀りて、往昔当郷の面々供奉りしを、宮座と号し、明応年中迄(A,D,1492〜1500年)は36人在しと申伝へし。永禄年中(A,D,1555年〜1557年迄)に残るハ14人と成る。これを竹原のおとなと名つける。(中略す)…又、土俗(クニヒト/日本書紀・神代上5段)の説に、天皇(神武天皇)藪へ入り給ふ時、士卒安気せしより末代の人の行きてやすらうふを、藪入(盆休み)りと云い伝えしとハ、此村ニ覚えける諺也、中につき古代の実を伝ふるは、6月21日。9月9日。此両日当村におゐて竹を伐(キ)ざる事ハ此処以なり。(上巻…終り…以上の記事中、カギ括弧内注釈文は筆者によるものです)。

 

…【たこ焼き】の「タコ」の語元(語源の意ではありません)…

 

…【タコ】(蛸)の語元は、【凧】の語意に言う【高】(タコ=竹/鷲=1000/千木の語元)の語意に起因する。後年、つまり現在に言う漢字表記の「鮹・蛸」(倭字)に対し、「タコ」と呼ぶのは、【凧】(紙老鷲=シラウシ)が高く上がる様子を以て、「タコ」(高)と言う。ちなみに、「蛸」(タコ/関東方言)や、「烏賊」(イカ/関西方言)の干し物の形状(手足が紙の尾びれに似る)が、【凧】(タコ=高/紙老鷲)に似ているからであった。つまり干し物の作成時、その手足が高く上がった凧の紙による尾びれに似ている処に起因する。

 

…「タコ=蛸・鮹」(和製・漢字=中国にタコ料理はない)の語意(高/鷲)が、【高】(タコ)の語意と結び付く説話が、『出雲風土記』(タコ・神社)に記載されている。

 

…【タコ神社】(延喜式・創建年不明/島根県出雲)…

 

…「タコ神社」(嶋根郡)の創建年代は不詳。その島根県の大根島から北東方向に位置する小島(江島)を以て、『出雲風土記』(嶋根郡)の「タコ社」に比定されている。その昔、「江島は蜈蚣(ムカデ/百足)島」と言う」。「古老の伝えに云へらく、 出雲郡の杵築御崎に蜛蝫(ムカデ/百足)あり」…つまり、出雲杵築の御崎に居た蛸(タコ)を、「天の羽々鷲」(大きな羽根の鷲)が、掠(カスメ取り)持ちて、此の島(ムカデ島)に飛燕来て止まりき故、【タコ島】(蛸島)と呼ぶと記す。つまり、【タコ神社】が、蜛蝫島(ムカデ島)に祀られる由縁が記されている。

 

…「大きな羽根を有す鷲(A)」が、「オクト−プス」(ラテン語/鮹)を掠め取り持ちて、「高く飛び上がり」、「百足(蜛蝫/ムカデ)島に飛燕し来た事」により、「エ島」(A=倭語チ=千の島の意)に成ったと言う事である。要訳すれば、大鷲に掠め取られた、「オクト−プス」(和製漢字=鮹・蛸)は、「高く上げられた」事によって、【タコ】(高=タコ)と言う。後年に至り、「和製漢字=鮹・蛸」を用いて当て字した。ちなみに、此の伝承は、国造りに於ける【シマネ】(島根)の語元に関連する。即ち、【蛸神社】伝承は、【島根国】(300/嶋根郡=島根県の名称)の国名の由来に基付く伝承であった。

 

…「シマネ=島根」(出雲風土記/嶋根郡)とは、読んで字の如く「シマ(300)の根(300)」(寝/日の出〜西方に位置する)の意である。つまり、日の出(常陸/茨木県)と対的な位置として、その語元は、「アス=アシタ」(明日)の語元に関連する。ちなみに、「日没から1日が始まる」とする「ユダヤ民族・思想」に起因し、此の【アス=明日】の語意は、【西(入り)表島】(イリオモテジマ)の名称(日入りの表/西に当る)の語意と同義語である。従って、「鷲」(A/千&百=百足/大陽の近く迄飛ぶとされる鳥)に関連付けた話が作成されたとである。

 

…【凧】に付いては、『物類称呼』(18世紀後半頃)頃の事として「タコ&イカ」として書かれている。ちなみに、後漢時代は紙鷲(シエン)と言い、平安初期に日本に伝来したとされ、『和名抄』によると…【凧】に対し【紙老鷲】(シラウシ)と表記するが、然し、「高(タカ/タコ=天空)の語義を、【鷲】に例える話は、古代エジプト(ギリシア/アレクサンドリア時代)が発祥地(太陽神・思想/ライオンに関連する)である。従って、『出雲風土記』の、【タコ神社・縁起】(嶋根郡)の話は、我が国独自の物語と言う事である。

 

…我が国に於ける、此の、【タコ=高】の語義は、先ず、葦(Papyrus)の語義(真っ直ぐ/カノン/正典等の意)を用いて関連付けが始まった。その初期的、我がクニの言語「ヤマト言葉」としての造語が、即ち【タコ/タケ】(タケノボルの語元)である。此の語義は、【ΙΑΩ】(ヤオ=Godの御名)の意とする故に、倭語「カミ=テオス」(13/Θεὸςの持ち物)と定義(造語)した。つまり、初期に於ける造語「カミ」(初期的造語)とは、【秘儀数値13=カミ】の【数値・言語】(カバラ)を用いて【日の本】(Θ/ヒ=日)と言う。それは、新たな国造としての祈願に関連し、倭語カバラ方式による呼称【ヤシロ】(13+340+5=358が語元)も設置した。その国造に於ける最初の【ヤシロ】(社)が【天照皇大神社】、即ち、現在の【タコチ・神社】(八尾市竹渕)であった。

 

…現在、大坂名物とされる【たこ焼き】。その、「タコ」(和製漢字=鮹・蛸)の語元(語源の意ではありません)は、此処に言う…【タコチ(竹淵)神社】(大阪府八尾市竹淵に建立)の名称が語元である。 

 

【タコ・チ】(高・値=千/鷲)

 

…【長髄彦・討伐物語】(竹淵神社・由緒書)に始まる、「タコ・チ」の言語(語義)には、既に「高(タコ)・千(チ)」(鷲=千/セン)の語意が秘められていた。従って、先述に言う、「蛸・神社」の伝承話(蛸を鷲が掠め取る話)も出来たのである。その始まりは、此処に言う、「タコチ」(竹渕)の語元(語源の意ではありません)にあった。その布石は、先ず、【ト−ラ/モ−セ5書】に言う【正典】(Bible)を意味表すフェニキアの「ビブロス港」(パピルス紙の原料取引港)の呼称(シュメル語/葦=gi/ギ)に関連(アルファベット・第三番目文字)付けた。従って、倭語としては、フトマニ(太占)の占い言語を用い、【アメ・ミナカヌシ】(370=天御中主)と称し、【フトマニ】(卜・占い)を用いて登場(元初神の登場)させている。その【アメ・ナカヌシ】の語意(語義)を用い、【ヤマト】(ヰヤマト=580)の語元(語源の意ではありません)とした。その「アメ」(天)の語義は、【数値・1000/千】を用いた【1000年・枠物語】として明文化した。つまり…【日ノ本・カミ代物語】を創作し、そのカミ代(300万年歴・物語)を経た後として、【長髄彦・討伐物語】を設定した文書を完成させた。此の「カミ代」と、「ヒト(人)の時代」との区切り処が、宇佐(ウサ/当時の筑紫/現在の大分県)に於ける「ヒト(1ツ…人の語元)・アガリヤ」(1つ上がり家)の設置思想であるが、此の思想は、【死海文書】(1947年発見)に於ける…《メルキゼデクテクスト・11QMelch》…の成就(finish)を物語る。

 

…此処(上記)に言う、「1ツ、上がり」の語意は、「カミ代の教え」を通じ、次の時点へのステップアップの意を意味表すものであった。従って、カミ代を脱したとしての【千年・枠物語】の布石が先ず最初の物語の部分に取り込まれている。その布石数値【千】(チ=1000)とは、安芸(広島県)の【チ(千)の宮】(紀/エ=Aの宮)に到着として取り込んでいる。その翌年、「吉備の【千島=高島宮】(1300/明神鳥居の数値)」に3年間で戦の準備(踏鞴/アラガネで武器を造る)を整えた。

 

…つまり、長髄彦討伐軍が、筑紫(九州)の宮崎を発し、宇佐の「ヒトツ・アガリヤ」(1つ・上がり家」を経て、【タコ・チ】(千=鷲)に言う【ΙΑΩ】(ヤオ=八尾】へ到達する過程の、その地名には、既に、【千年・枠物語】の枠数値数値)が組み込まれていたのである。

 

従って、我が、【日本建国史】の歴年数値に対する「B,C,660年間」の底上げ数値」は、此処に言う【タコチ】(竹渕神社)の語元数値を用いて「660年間の底上げ」を設定していたと言う事である

 

…元初に於ける【日本建国・創建】を祈願の対象とする、その最初の倭語【ヤシロ】の設置は、「タコチ」地域に建立した【天照太神宮】(現在・竹渕神社と称す)であった。ちなみに、その【ヤシロ】の語元は…「ついにはシロ(Σilh)が来て」…と言う、『旧約聖書』の「創世記49・10」に書かれている語意に起因し、尚、その成就(finish)年としては、「豊受カミを伊勢神宮のソトミヤ(外宮)に勧請した年」として定義した。従って、【太神宮諸雑事記第一】を見れば、「雄略天皇22年(A,D,478年/戊午)の年に勧請した事が書かれている。

 

…『現存・日本書記』(国史大系1)の、巻頭(劈頭)文中(成句)に記す【日本国・開闢物語】。その、元初神としては、「アシカビヒコジ」(含牙=可美葦牙彦舅尊)と漢字表記しているが、その「アシ」とは、聖書、即ち、【正典】(Bible)を意味表す言語であった。従って、【ホツマツタヱ】(秀真伝)と、【ミカサフミ】(三笠文)文書は、【日本人の正典/Bible】として書かれている。

 

…【追記】(平成29年=2017/08/15・火曜 )…

 

…上記に言う「ついにはΣilhがきて」(創世記)…の【ゲマトリア/Gematria 】(文字&数値転換・解読方式)数値は、【358】である。そして、此の秘儀数値を用いて、【千年・枠物語】の基礎数値として取り込んだ。つまり、「カミ代・300万年」後の神武天皇即位1年目を以て、「天鈴暦58年」(戊午/ツチノエウマ)と定義した。

 

…此の続きは後日と致します…

 

 

 

                 …日本語(ヤマト言葉)の始まり… 

…【元始・ヤマト言葉】の基本的文字配列方式(アイウエオ/5母音48文字言語)は、【Qumran Sect】(死海文書/1947年発見)トップグル−プの子孫達が、【カミ(上/God)の顕現年】(BC31年/ユダヤ地域に巨大地震発生)を契機に、極東方面へ移動した事に始まった。従って、【倭語・5母音】(アイウエオ)のル−ツは、「ギリシアのアルファベット/5母音」が起元(起源の意ではありません)である。そして、その巨大地震発生以降、極東へ移動し、尚、或列島が最極東の地域に位置するものと確認した事を以て、最終的には国家的【日ノ本】(ホツマ/ヤマトと同義名称)を前提とした村々を各地に成立させていった。

 

…【日本建国・創建史】部分の内容は、【ホツマツタヱ】(秀真伝)、及び【ミカサフミ】(三笠文/散逸書)文書として書き記されている。尚、その双方の文書は、【日本人の正典】(Bible/聖書)として書かれたものであった。従って、その双方の文書は、当時(A,D,1世紀〜4世紀中頃)に於ける【三種の神宝】(ミクサノカンタカラ)の1つとして取り込んだ事を記している。つまり、初期的【ミクサノカンタカラ】とは《【〃】・八咫鏡・A佇の文書=正典》…等と説明書きがある。 

 

             …【缺史八代説は無用の長物となる】

 

…現在のアカデミ−的「日本・古代史界」(戦後/昭和20年・大東亜戦争後に設立)に言う【缺史(ケッシ)八代・説】は、戦後に再発見(昭和41年に松本義之助氏が見つけ普及させた)された『秀真伝』(神代文字・文書)の解読によって、「不要の長物」となりました。ちなみに、何故【缺史】と言うのかと言えば、『古事記』、『日本書紀』には【天皇系譜】(帝紀=皇室の家系/来歴)が記述されているが、その【事績】(旧辞=旧辞は歴史)に関しては…「第2代・綏靖天皇から第9代・開化天皇迄の8人の天皇条には書かれていない」…等と言うのが理由とされる。然し、『秀真伝』文書には、【富士山】の語元(第7代・孝霊天皇時)に付いて記述(御幸/巡幸記事)している。つまり、現在に言う富士の語元は、「藤の花」が、その山の語元(語源の意ではありません)として命名した事を明記している。又、その山の付近にある「8湖」(A,D,世紀頃は8湖であった事が書かれている)の名称(呼称)も、『ホツマツタヱ』(秀真伝)文書には確と明記(御幸=巡幸)している。ちなみに、当時(4世紀中頃)は、その「ミヅウミウミ」(湖)は「8湖」(噴火等で消滅し現在は富士五湖と言う)だったのである。此の記述(明記)部分は、正しく【旧辞】に当る。従って、『秀真伝』文書が再発見(昭和41年)された事を以て、此の文書の再発見(昭和41年=1966年)以降、【缺史八代・説】は、【不要の長物】となったのです。 

…以上の文面は、昨日(平成29年7月16日/土日)の定例会、即ち、『第三回・ΙΑΩ(八尾)・発信会』集会場所=大阪府八尾市久宝寺/寺内町まちなみセンター会議室)で用いたテキストの一部として取り込みました。他、此の時の定例会に於いては、高根正教(マサノリ)氏の【ソロモンの秘宝・剣山】説に対する否定等の事も取り込みました。

『ΙΑΩ・発信会』とは「八尾(iao/大阪府八尾市)に始まる日本国家創建史・発信会」の略称です。 

 

                 

                  …【ソロモン秘宝・剣山】説の否定

 

…全イスラエル国(南・2支族/北・10支族)。その、北イスラエル国(10支族)は、紀元前721年の時、アッシリアに滅ぼされた。此の時、ソロモン神殿も破壊され略奪されたが、その時は既に聖櫃(アーク)は無く、ソロモンの莫大な財宝と共に忽然と姿を消したとされている。然し、先述の高根説では、『古事記』、『日本書紀』(カミ代・物語)の「イヨ・アワ…双名」等の文言と『新約聖書』の或部分を引いて、その【ソロモン秘宝・剣山説】を唱えている。つまり、その高根説は、日本国の歴史とは何の根拠もない妄想説だったのである。何故かと言えば、『古事記』、『日本書紀』の記述内容(開闢物語から景行天皇条迄)は、『秀真伝』(ホツマツタヱ)、『三笠文』(ミカサフミ)文書(A,D,3世紀〜4世紀中頃にかけて完成)を底本として編纂されているからである。

 

…『秀真伝』文書の再発見(昭和41年・1966年)により、それ迄の『古事記』や『日本書紀』に記す【神武天皇・即位元年】に対し、「紀元前660年」とする説は完全に否定する事が出来ます。つまり、【日ノ本・開闢物語】から【ヲシロワケ】(第12代・景行天皇)迄の歴年起点年の設定方式は、従来説に言う「紀元前660年」ではなく、「幻の西暦1年目」(A,D,1年目)であった。此の事を証明する文書と成るのは、【太神宮諸雑事記第一】である。従って、先述に言う高根正教氏の【ソロモンの秘宝・剣山説】(四国説)は、何の「渡海根拠」も無い、全くの妄想説だったと私は結論づけまする。

 

…ちなみに、【剣山の秘宝】説(高根正教・説)に言う、四国(剣山)説とは…要訳すれば、【高根正教(マサノリ)・説】の、「四国/徳島県の剣山にアーク等の埋蔵説」とは、『古事記』に記す…「伊豫・阿波の双名/4つの面あり」(四国の伊豫・阿波の双名+土佐と讃岐を合わせ4つの面の意)」の文面と、【ヨハネ黙示録7・1】(新約聖書)に記す…「私は見た。4人の御使(天使)が地の4隅に立って、地の4方の風を堅く押え」…等と記す部分(ギリシア神話にもある)を引用し、比較検討した結果とされる。然し、その説は、あくまでも抽象的なもので、確たる根拠(渡海の根拠)は持ち合わせていません。

 

…つまり、『古事記』、『日本書紀』に記す【日ノ本・開闢物語】に始まる我が国の【日ノ本・カミ代物語】(国生み物語)とは、古代ユダヤ教の人達ではなく、【脱・ユダヤ教】(Qumran Sect/クムラン・秘儀教義宗団)のトップグル−プの人達が創案し作成した文書(紀元後/約1世紀〜4世紀中頃にかけて作成)だからである。尚、ソロモンの秘宝に言う【アーク】(聖櫃/契約の箱)は、アッシリアに攻め込まれ第一神殿が崩壊(B,C,701年)した時には、既に無かったとされている。

 

此の続きは後日と致します

 

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2018.06.29 Friday

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