【日本建国・創建史学】の構築(癸院腺魁Α6 迄)

2017.11.22 Wednesday

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    癸院敍本建国・創建史学】の構築(自説)…始めに

     

    …【ΙΑΩ=ヤオ】(大阪府八尾市の名称)の語元に始まる日本建国史…より…

     

    ★… 昨日(平成29年=2017/10/28/金曜)、定例会(ΙΑΩ/ヤオ・発信会)の人(奈良大学卒業)と話あって、【日本建国・創建史学】構築準備会を立ち上げる話をしました。以下、出来るだけその趣旨に従った内容を此処に書き続けていく予定です…つまり、我が国には【日本建国学】は存在しません。ちなみに現在の【国学】とは、「国語学」(文法等の学問)の事であって、それも尚、「奈良時代」(和銅3年=710年〜延暦13年=794年迄)以前の事は解らないと、国語学者の小松英雄氏は言う。

     

    ★…【日本】(日ノ本=ヤマト)と言う呼称は、「ヒノモト国家・成立後」に言う呼称である…

     

    …何故「ヒノモト=ヤマト」と言う国家的国称が成立したのか?。それは先ず、【ヤマトコトバ】(日本語)を共通語とする全国的(北海道等を除く)国家体制が整ったからである。此の事が意味する処は、国語と定義する【ヤマトコトバ】言語体系が整っていた事を意味表す。つまり、【ヒ=日/数値の1】。そして【ノ=格助詞】。【モト=本/元】等と意味づけする言語体系を完成させていたと言う事である。つまり、【ヤマト言葉】言語体系は、弥生時代中期(畦夕亜殖贈31年以降)に完成させたものであり、けっして「縄文時代等の言語」ではありません。

     

    …「日ノ本の定義」は、「Assu 」(アス…東/日ノ出の意)である。此の言語(アス)の行政的初出は、古代ロ−マがベルガモン王国を併合(BC133年以降/アジアの語元)した処に始まる。尚、日本語に言う【アスカ】(明日香/飛鳥)の語元(語源の意ではありません)は、【日ノ本・カミ代物語】(ニギハヤヒ・天降御座物語)文中の文言が語元である。ちなみに、【明日香】と【飛鳥】の語意は、【ホツマツタヱ】(『秀真伝』)文書に記述されている文言に起因する。

     

    …【ホツマツタヱ】(『秀真伝』)とは、戦後(昭和20年=1945年終戦/大東亜戦争後)の【GHQ・公職追放】政策が薄らいだ頃の、昭和41年(1966年)に再発見された【カミ代文字・文書】(古文)である。その昔、我が国は「ホツマの国」(秀真国/袍圖莾句儞=ホツマクニ)と呼ばれていた。此の事は我が国の歴史書である『日本書紀』(国史大系・1)の「神武天皇31年条」に、確と、明記されている。従って、此処に言う【ホツマツタヱ】(『秀真伝』)文書は、「日本国家の正式的な歴史書」であると共に…《【日本人の聖書】(Bible)》…に当る。

     

     

    ★…【元初・ヤマトコトバ】(beginning Japanese Word)は、【ダニエル書】(5・25)に記す「Mene,Mene,Tekel,U・pharsin」(メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン)にある。此の言語を記した文字は、それ迄(BC160年代頃)、誰も見た事がない文字であり、唯一、ダニエル(ユダ部族)が読み解いたとされる文字言語である。

     

    …古代ユダ民族の地、つまり、死海西岸地域(クムラン)から極東の此の列島へ移動して来た最初の一団は、ユダ民族の中でも特にエゼキエルの預言、即ち、【悔い改めの義】(390年+手探りの20年=410年/BC177年頃)を全うした人達の子孫達と、その【悔い改めの義】を指導した宗団トップグル−プの人達(バビロン居住の東方の3博士・占星術師を含/『新約聖書』マタイ伝 2・1〜12)の子孫あった。

     

    …最初の移動宗団の人達(クムラン宗団・トップグル−プ)は何時頃、東方へ移動を開始したのか。それはユダヤ地域を襲った巨大地震年(カミの顕現/ヘロデ王の第7年)以後である。

     

    …又、その最終的(第2回目)移動者達(バビロン居住/東方の3博士・マタイ伝2・1〜12)が極東方面を目指し移動したのは、「BC3年頃」(キリスト生誕年)の事。その極東移動ル−トは先ずインド北部(チベット付近/仏教の発祥地ルンビニ/天竺に当る)に入り、新た成る国造に必要不可欠な新たな言語の設定と、その言語を用いた【三角数方式・ゲマトリア数値】を含む【秘儀数値言語】を設定した。その新た成る文字としては、【カロッシュティ−文字】を参考にして作成(現在に言う阿比留文字)した。その準備を整えて後、ギリシア系の大月氏国地域(現在アフガニスタン地域)を経由し、その大月氏の使者とする「伊存」(イソン)に連れだって後漢の「哀帝4年」(BC2年・己未)の時、哀帝に仕えていた占星博士の弟子(景慮)に【浮屠】(フト)の経典(仏典とされている)を授けた。又、口頭にて、連れの【復立】(クムラン宗団者/後に言う神武天皇に当る)は次世代の王と成るであろうと伝えた。そして、その足で次世代の王【復立】(後の神武天皇)達一同は、極東の列島へと移動した。

     

    …ちなみに、此の【復立】(後に言うタケヒト=神武天皇/辛酉=次世代の王)が、極東(現在に言う日本列島)に於ける「新た成る大陽思想によるカミの国・創建」に向けた指導者と成り、先ず、地形の探査(『秀真伝』日ノ本・カミ代物語/イザナギ尊時代に当る)を命じた。従って、此の極東地域の中で特に最極東に値する地域(現在の茨城県&宮城県一帯)を特定し、「暫定的・元初のカミ(含牙)祀り」(フクメリキザシ=國常立尊の出現)を行った。

     

    ★…『魏略』(魏・蜀・呉/三国時代の書)によると…それは「哀帝期」(BC2年)の時。佛教亦透過大月氏而傳入、『魏略』(.西戎傳・載)「天竺(インド)又有神人、名沙拉(名前 → サラ/倭語=更・新)。昔漢哀帝元壽元年(BC2年/己未)、博士弟子【景盧】(ケイリョ)受大月氏王使【伊存】(イソン)口受『浮屠・經』(フト・経典)曰【復立】者其人也。此即佛教史上著名的【伊存】授經(経典)。

     

    …又、 『三国志』(卷三十・魏志三十/烏丸鮮卑東夷傳・三)によると…臨児(リンジ)国(ルンビニ国/現在はネパ−ルに位置する)。浮屠(フト)の経云ではその国王が浮屠(フト/仏陀=釈迦)を生んだ。浮屠(フト)は太子(仏陀)だった。父は屑頭邪、母は莫邪と云った。浮屠(フト)は身に黄衣(最後の晩餐/ユダの服は黄色だった)を服し、髮は青きこと青絲の如く、乳(産毛)は青く、蛉(瞳)の赤きこと銅の如し。始め莫邪は白象を夢に見て孕み、生まれるに及んでは母の左脅(左脇)より出で、生まれた時には髪が結われ、地に堕ちるや七歩を行けた。この国は天竺(インド)城の中にある。天竺には又、神人がおり、名は沙律(サツ/倭語ゲマトリア660)。昔、前漢期哀帝の元寿元年(BC2年/己未)、前漢の博士(占星術)弟子【景盧】(ケイリョ)が大月氏王の使者【伊存】(イソン)から浮屠経を口受されたが、【復立】という者がその人である。浮屠(フト/経典)が記載する臨蒲塞・桑門・伯聞・疏問・白疏痢θ羌屐晨門は皆な弟子の呼号である。浮屠(経典)の記載と中国の老子経とは相い出入(重複)しているが、恐らく老子が西へ出関し、西域を過ぎて天竺(インド)で胡人に教えたのだ。浮屠に属する弟子の別号には、合わせて二十九(クムラン大地震年に関連する数値)あり、詳しくは載せられず、ゆえにこの様に略載した。

     

    …【Qumran Sect】(クムラン・秘儀宗団)の、極東移動に於ける後発隊(BC3年/占星術博士を含む)達も、最初はインドの【ルンビニ】(仏教発祥地)に入った。つまり、釈迦開祖の仏教の根元は、【イスラエル・教】(YHVH=God)だったのだ。その証拠(筆者説)とするのは、釈迦が得道(悟りの境地)した時、現れたとされる【ア−トマン】(Ātman/気息の意) の事にある。此の【ア−トマン】の語意に対し、「気息を意味表す」と解釈されているが、ユダヤ教の後を引き継いだ『新約聖書』、然り、「始めに言葉在りき」(ヨハネ福音書/1章1節)と記すが如く、その言葉とは、ユダヤ教の基本原理り当る【カミ(上)の息】(秘儀数値300/カミの御魂)に関連するからである。そして、【ア−ト】とは、ユダヤ民族に言う「始めと終わり」(Α&Τ)を意味する言語であり、又、【マン】(Man)とは、ヨ−ロッパ言語圏のアルファベット言語(倭語・ヒト=人間の意)であって、此の言語(マン=Man)は、印度語のサンスクリット言語ではありません。

     

    …北イスラエル王国は、アッシリア(サルゴン二世)の侵攻によって陥落(BC721年)した。そして近年、 【アミシャブ】(1975年に設立されたイスラエルの失われた10支族に関する調査機関/1975年=昭和50年設立)による、「失われたイスラエル10部族・調査結果」によると、BC721年=ホセアの第9年(南ユダのヒゼキヤ王・第6年)に、息子のサルゴン二世(722年〜705年)によって、サマリア(北イスラエル)が陥落し、10部族の【高位者】達は、アッシリアの地に連れて行かれ、その後の消息は不明(聖書にも記述なし)とされる。従って考えられるのは、【チベット・ボン教】(BN=ボンは息子の意/ユダヤ教思想継続者)は、先述に言う【高位者】(ヨセフ系…マナセ&エフライム族)の子孫(BC630年・ペルシア人はザクロス山脈を西下/ゾロアスタ−教成立時代に関連する)によって創設された可能性がある。その初期的【チベット・ボン教】(BC6世紀/ユンドゥン・ボン=永遠的宗教の意)の開祖とされる「シェンラプ」にれば、此の【チベット・ボン教】のル−ツは、チベット西方の「タジク」(ペルシア方面)や、「シャンシシュン王国」(チベット/マナサロワ−ル湖/マパム・ユムツォ地域一体)からもたらされた教えであるとボン教徒は信じているとされる。ちなみに、その「 マナサロワ−ル湖」の呼称は「マナセ族」(ヨセフの息子/兄弟のエフライム共々エンブレムは一角獣である)の呼称に関連すると私は考える。  

     

    …現在…インド北部の「カシミール族」(人口は現在、約500〜700万人位)は、インドとアフガニスタン国境付近に住んでいる。彼らは外見上ユダヤ人と酷似し、言語、習慣も共通点が多いとされる。ちなみに…【失われたイスラエル・10支族】の人達の中の、現在に言う「ナシュ族」は、「マナセ族の末裔」(エンブレムは一角獣)とされ、インドで発見された。そして、そのインドから現在のイスラエル国に帰還(平成24年=2012/12/25)している。

     

    …此処に言う【日本建国・創建史】とは、『秀真伝』(ホツマツタヱ)と、『三笠文』(ミカサフミ)文書に記す処の、【カミ名・文字】(God名の文字=秀真文字/ホツマモジ)を用いて記した歴年史文書内容の事である。ちなみに、その【秀真文字】に言う【カミ名・文字】(神代文字)に対し、戦後(昭和20年=1945年終戦/大東亜戦争後)に於ける【GHQ・政策】(アメリカ/連合軍政策)による日本弾圧政策(日本建国史の否定政策)に手を貸した、我が日本史(特に古代史)に於ける素人的な文献史学者達は、【カミ代・文字】(神代文字=ジンダイモジ)の存在に対し、否定説を唱えた。つまり、本当の文献史学者である平田篤胤(ヒラタアツタネ/江戸後期の国学者)が提唱した【神代文字】(ジンダイモジ)の【存在説】に対し、戦後に於ける古代史に於いては全くの素人に値する「古代史系・文献史学者」達は、全く何の検証もせずに否定したのであった。尚、そのたった1つだけ「否定説」(好い加減説)の砦としていた文献は、齋部(インベ)廣成(著)の『古語拾遺』(コゴジュウイ)であるが、それも、たった一部分の文面である。

     

    …その文面には…「上古の世、未だ文字あらず」(ジンダイ文字否定説者=賀茂真淵/本居宣長/伴信友・等の否定説を学問上の定説とする)等と書かれていているが、後年、齋部廣成の後裔(コウエイ)である【忌部政通】は…神代巻口訣(忌部政通・著)と言う文書を用い…「神代の文字は象形也」…と言い、【神代文字…肯定説】を唱えていたのである。

     

    …早い話が、此の戦後(大東亜戦争)に於ける我が国の【古代史系・文献史学者】達は、【ジンダイモジ】(神代文字)文書に対し、全く、何の自説も持ち得ていないと言うのが現状である。従って、此の好い加減説(否定説)も、『秀真伝』文書が再発見(昭和41年・1966年)された事により、不要の長物(神代文字は存在する)と成りました。

     

    …つまり、戦後に再発見された訓読表記による『秀真伝』文書内容(日ノ本・開闢物語〜景行天皇迄の内容)を読み知れば、日本のアカデミ−系、文献史学(古代史)者達が【カミ代・文字】否定説の最後の砦と定義していた『古語拾遺』(齋部廣成・著)にあっても……《イワユル(所謂)【神代文字】(ジンダイモジ)の存在を【肯定】する内容》を以て書かれている事が良く解ります。従って【GHQ・政策】による戦後の日本アカデミ−文献史学者達が追随していた「神代文字(ジンダイモシモジ)否定説」は、『秀真伝』文書の再発見を以て、既に、「不要の長物」に成ったと言う事です。

     

    …『秀真伝』(ホツマツタヱ)と『三笠文』(散逸書/ミカサフミ)文書は、【ヲシロワケ】(景行天皇)迄で終了の形式を取っているが、それは、【日本人の聖書】(Japanese Bible)として位置付ける為であった。ちなみに、此の『秀真伝』と『三笠文』(散逸書)が書かれたのは…《現存・日本書紀/国史大系1》…に記す【第14代・タラシナカツヒコ】(仲哀天皇&神功皇后/AD3世紀)から、【第16代・仁徳天皇】(AD313年〜AD399年)時代頃にかけてである。

     

    …『秀真伝』文書以前は、「カミノヨノ、フルコトシルシ」(カミ代・古事記)と言う文書が存在していた事を『秀真伝』文書は記している。然し、何故、『秀真伝』と『三笠文』と称し、それ迄の文書を書きかえなければならなかったのか?。それは、此の文書の筆者達の祖国(ユダヤ国)、即ち、【エルサレム・第2神殿】がロ−マ軍の攻撃で陥落(AD70年)した事を知ったからである。従って、祖国(当時のユダヤ国はロ−マに支配されていた)の歴年史数値(ロ−マ/ウェスパシアヌス帝・3年/AD70年=ユダヤ歴年・創世記歴3860年に当る)を、我が【ヤマト】(日ノ本国)の歴年数値(暫定的・在位年数値・730年=AD70年)に接続する事にした。

     

    …ちなみに、その文書の書き換えに当っては、【日本人の聖書】(Japanese Bible)として作成した。そしてその文書の名称(標題)は、【ホツマツタヱ】(秀真伝)と【ミカサフミ】(ミカサフミ)であり、此の文書の書き換えを証明するのは、【太神宮諸雑事記第一】文書である。

     

     …【フルコトシルシ】(旧事記/古事記)文書が、【ホツマツタヱ】(秀真伝)と【ミカサフミ】(三笠文)と称し、尚、【日本人の聖書】として書き直し完成させた年は、「仁徳天皇天皇・50(AD362年)の時である。

     

    …ちなみに、此の年(AD362年)の時としては…「我オ問ハスナ、秋津島、ヤマトノクニニ、カリコム(529)ト、我ハ聞カジヤ」(武内宿禰/5・7調の答歌)と言う歌が記されている。此の答え歌(世の永人=武内宿禰)の意味する処は、新に【日本(ヤマト)人の聖書】として書き直した【ホツマツタヱ】(秀真伝)文書にあっては、「ミマキイリヒコ(崇神天皇)の崩御年」(在位通歴・631年)を示唆する文言であると共に、「千木の語元数値」(1160=529+631)をも示唆する内容でもある。

     

     

    癸押敍本建国・創建史学】の構築

    …【ΙΑΩ=ヤオ】(大阪府八尾市の名称)の語元に始まる日本建国史…より

     ★…『古語拾遺』(コゴジュウイ)は 「神代文字の存在説」を記している…

     

    …下部画像文面は、『古語拾遺』の著者「齋部廣成」の後裔(コウエイ)である「忌部政通」(インベマサミチ)著『神代巻口訣』(ジンダイカンクケツ)の一部分です。

     

    …【神代文字】(ジンダイモジ)存在に対する否定者達(戦後の古代史系文献史学者達)は何の根拠も示す事が出来ないにも拘わらず、『古語拾遺』に記す或一文を用いて否定説の砦としている。然し、その一文の文言は、【ジンダイモジ】(神代文字)の存在を肯定する内容である。では何故、戦後(大東亜戦争後)に設定された日本史の中の古代史分野にあっては、【神代文字】の存在を否定しなければならなかったのかと言えば、それは、戦後(昭和20年=1945年終戦・大東亜戦争後)の我が国は、アメリカ筆頭による連合国政策(GHQ・政策)によって、【日本・国学者】(江戸後期の国学者/平田篤胤に始まる)達は我が国の教育現場から排除されたからである。それで、戦後から現在にあっては、【日本建国・創建史学】的な国学は在りません。つまり、戦後に設定された「日本・歴史学」(古代史を含む)に対しては、【GHQ】(連合国軍最高司令官総司令部)政策の一貫として、【日本国の弱体化政策】(ウォ−・ギルト・インフォメ−ション・プログラム)が行われたからである。従って、我が国の古代史(国学)に詳しい人達は排除され、尚、【日本神話】も学校の学問から削除された。そして、間違った「日本・古代史観」が、学校の授業を通じ若い人達に植え付けられる事となり、現在(蔓延)に至っている。

     

    …ちなみに、現在に言う【国学】とは、現実的には【国語学】(言語学や文法等の学問)の事。それも奈良時代頃(漢字時代)以降の言語を研究する学問である。従って、「和銅3年=AD710年」頃、以前の言語に付いては全く解らないとするのが現状である。そもそも、現在に於ける我が国の【言語学】の基礎は、『万葉集』(五・七調和の歌を基本とする)を構成する【万葉仮名】(1文字1音の訓読を基本とする)である。尚、その【万葉仮名】とは、元来【1文字1音・方式】の【カミ名・文字】(神代文字/ジンダイ文字)文化時代の【ワカ=和歌】(此の語元はワカ姫が考案した事に由来する)と言う女性(ヒルコ姫=ワカ姫)の御名が、その語元(語源の意ではありません)であり起元でもある。

     

    …【ワカ】の語元は、【ワカ・姫】(天照大神の長女=ヒル子)の御名に起因する。此れらの事が解ったのは、【ホツマツタヱ】(秀真伝)と言う全文面が【神代(ジンダイ)文字】で書かれていた文書が再発見(昭和41年・1966年)されたからである。然し、現在に至っても、「知らぬは亭主(戦後・我が国のアカデミ−的文献史学者達)ばかりなり」と言う事に成っている。

     

    …『古語拾遺』の著者である「齋部廣成」の後裔「忌部政通」は…《【神代文字】は【象形文字】である》…として、【神代巻口訣】文書を用い、その【象形文字】の1つ、つまり、【ホツマ文字】(神代文字)の「サ」(円形=○に横一線の形状)の字を確と明記したのである。

     

    …「忌部政通」(インベマサミチ)が言う処の、その【象形文字=神代文字】(下部画像/○に横一記号)は、『神代巻口訣』文書を以て説明すれば、「右二行目、上から二番目」に位置する円形状文字 、即ち 「円○に横一線の記号文字」の事です。此の「ジンダイ(神代)文字」は、【秀真(ホツマ)文字の【サ】と読む。そして、此の文字(サ)の語意が意味する処は、「朝、東の水平線から大陽が南天高く立ち上がる状態」を表し、4方位の【南】(昼の語意に対応)をも意味表す言語文字である。


    (下部の画像は「忌部政通」著【神代巻口訣】文書の一部分)


     

     

    …次ぎ、下部画像の文言文字は…ホツマ文字の母音記号【O・冂・△・弓・囗】と、子音記号、即ち、【Υ】(・=ヨッド)の字を分解した形状(I/T/Χ/V)を合体(組み合わせ)させて考案された文字を用いて書かれている…

     

    … 【神代巻口訣】に記入された「○に横一線入り記号文字」の形は、下部の文字フォントの中に在ります。つまり、画像文字「右2行目。上から5番目」に位置する円記号「○に横一線入り」状の文字の事で、【サ)と読む。

     

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    ★…上段の右から左へ読むと…

    一段目左から…ヒコオヌフアウエヲヤ、

             …ミモユノワホエ弓(弓・形記号は水を意味する母音記号)タテ、

             …ル(ろ/?・変態文字)イスカン(ん=変態文字)ナヰラセ、

             …ロヰチシハキ クマ(ま=変態文字)、

             …ネノリレケムツサソ」(45文字/文字順不揃い)。

     

    …此の記号文字の配列的文言には意味はあません。此の画像文字は、或【文字フォント・サイト】にあったから貼り付けたもの。つまり、此の【秀真文字】(ホツマ文字)…【サ】の形状を紹介する為に貼り付けたものです…元来の【ホツマ文字】と、其の文字配列方式を見ようと思えば、「Google・検索」(ホツマ文字で検索/下の画像=五・七調 アワのウタ)で見る事が出来ます。

     

      「ホツマ文字「サ」」の画像検索結果    

    ★…上、右側画像(○に横一)文字は、ホツマ文字の【サ】と読む…

     

    ★…「齋部廣成」著の『古語拾遺』(神代文字の存在の肯定/筆者説)に関しては、次ぎのURL… http://erusaremu4654.jugem.jp/?eid=9 ← (ドラッグ・クリックして検索)…に記しています。

     

     

    …『古語拾遺』文中の文言(【日ノ本・カミ代物語】より抜粋す)…「天日鷲仲伉添雜湛鯡攫鐃G掘^丙酣鯱楕勝\木綿也 已上二物 一夜蕃茂也 令天羽槌雄叩 嶇訴険鸛通蕁/ナ孤曄[疆恵機姫耽丹瓠―螳睿属瓠晋展譟畆ご貘診棔廖文緤故す)。

     

    …上記、漢文の訓読(原文に近い表記)を記す…「あめのひわしのかみと、つくひみのかみとをして、かぢのきをうえて、しらにきて/これはゆふなり/かみのふたつものは、ひとよにおいしげれり/をつくらしむ。あめのはづちのかみ/しとりがえんそなり/をして、しつをおらしむ/。あめたなばたつひめのかみ(上=God)をしてかむみそをおらしむ。いわゆるにぎたえ/古語=ニギタエと言う」(日神の石窟幽居の部分に記るされている)…ちなみに「木綿や麻で織った布】を「アラタヘ」(日神の石窟幽意の条)と記す。

     

    …此の文言中の「倭文遠祖」(天羽槌雄神)と「機文布」。つまり、此の文面に言う「倭文/文布」が意味する処は、我が国に於ける【日ノ本・カミ代物語】(自説=此の時代はAD1世紀〜4世紀中頃迄の物語に当る)時代には、既に【倭・文字】(ホツマ文字)と、その文字を書く【織り布】(ニギタエ)が在ったと言う事を記している。つまり元を正せば、『古語拾遺』とは、【ホツマツタヱ】(秀真伝)と言う文書を元典としていて、尚、その後の出来事を集約した内容なのである。

     

    …早い話が、読んで字の如く…「当時(カミ代・時代)、我が国の公式文書」…としては、つまり、漢字を導入する以前(AD5世紀中頃より以前)にあって、我が国(ヤマト国家)には既に独自の【カミ名・文字】(ジンダイ文字=神代文字)が存在していた。そして、その文字は【ニギタエ】(木綿&麻布)を書く材料として用い、文字を書いていた」…と言う事である。

     

    …従来(戦後)に言う『古語拾遺』の冒頭に記す此の文言、即ち…「 蓋聞 上古之世 未有文字」(ケダシキク・ジョウコノヨ・モジアラズ )…に言う…「未有文字」とは、「我が国(ヤマト=日ノ本国)には未だ漢字が導入されてなかった」…と言う意味である。「そして…「書契より以来」(ショケイヨリコノカタ)とは、「カミ代文字で書かれた文書が出来た時から」(BC1世紀終り頃から)と言う意味である。

     

    …此の『古語拾遺』文言…「貴賤老少、口々に相伝へ、前言往行、存して忘れずと聞けり。書契より以来、古を語る事を好まず」(仮名訳=キセンロウショウ、クチグチニアイツタエ、ゼンゲンオウコウ、ゾンシテワスレズ。ショケイヨリコノカタ、イニシエヲカタルコトヲコノマズ)…と記す部分の【書契】(ショケイ)の語意は、イスラエルのカミ(Yahweh=ヤハウェ)との契約の意に関連し、我が【日ノ本国】(ヤマト)に於ける【契約文書】(日本人の為の聖書)の意を意味表す。次の…【書契より以来(コノカタ)、古(イニシエ)を語る事を好まず】とは、「ホツマツタヱ」文書の完成(4世紀中頃)以後、それ以前(イニシエ/ユダヤ教時代)に於ける出来事等の話は避けるように成った。

     

    …つまり、我が日本の国に…「漢字導入以前は神代文字が無かった」…と、今でも言い張る、その戦後(大東亜戦争後)に於ける我が国の文献史学者達(アカデミ−的・古代史系史学者達)は、『古語拾遺』の読み方を全く知らない事、然りである。その証拠の1つが、『古語拾遺』に記す……《天羽槌雄神(シトリ=倭文が遠祖)をして、しつ(文布)を織らしむ》……の記述部分である。此れは読んで字の如く…「文書を書く為の織り布」(文布/日神の石窟幽居の部分に記す)の意である。つまり、倭語(1文字1音/訓読の神代文字言語)で書かれた文言に対し、漢字に書き換える時、その語意を解りやすくする為の当て字を付すにあっては、その意味(語意)を重視した漢字を以て当て字した。それがつまり【文布】(倭語/訓読=しつ)である。要約すれば、我が国、即ち【日ノ本・カミ代物語】(1世紀〜4世紀中頃)時代にあっては、既に、【カミ名・文字】(カナ・文字/仮名の語元)が存在していたと言う事を、「齋部廣成」(インベヒロナリ)は、『古語拾遺』文書の作成を以て、確と、明記したと言う事である。

     

    …然し、戦後(大東亜戦争後)に於ける【GHQ・連合軍政策】(日本国の力を削ぐ政策)にのっとり、戦後の我が国の古代史系的な史学者達(江戸後期の国学に対しては素人に等しい人達)は、「我が国には神代文字はなかった」と言う説を唱えるしか方法がなかったのである。

     

     

    …以下【追記】(平成29年11月11日/土曜)…図表(神代巻口訣の一部)の【追記】と解説…

     

    …『古語拾遺』(齋部廣成・著)の此処の文面は【ホツマツタヱ】(秀真伝)文書を底本として書かれている。その2つ目の証拠となるのが、齋部廣成の『古語拾遺』に記す処の…「(素戔嗚の追放)…阿波礼 阿那於茂志呂 阿那多能志 阿那佐夜憩飫」(仮名訳…アハレ、アナヲモシロ、アナタノシ、アナサヤケ、ヲケ)と記す部分である。此処の部分は【ホツマツタヱ】(秀真伝)の【第7章…ノコシフミ・サガヲタツアヤ】(癸掘唇篳検性質ヲ絶の章)の部分に当る。その【ホツマツタヱ】(秀真伝)の此処の部分は、天の岩戸から【ウヒルキ】(天照大神の幼名)が現れ…「アハレ、アナヲモシロ(面白)、アナタノシ、アナサヤケヲケ、サヤケヲケ、アハレヲモシロ、サヤケヲケ、アナタノシ」と言った事に関連し、始めて此処に【天照大神】(ヲモシロ=人の顔の表面を照らす意味)と言う呼称(名称)が成立した事を記しいる。

     

    …然し、何はともあれ…『古語拾遺』(齋部廣成)に記す…「蓋聞 上古之世 未有文字」( ケダシキク・ジョウコノヨ・モジアラズ )…と言う文言に対し、我が国の戦後(大東亜戦争後)に於ける文献史学者達が…「我が日本の国には漢字が導入される迄は文字(神代文字)は無かった」(証拠無し/何の根拠も示す事出来てない)…等と言う愚説(グウ説/オロカナな説)は、本末転倒である。

     

    …ちなみに、「文献史学者」と言うのは、文献で在れば、どのような文献であれ選り好みせずに検証するのが仕事である。従って…「文献を選り好みする我が国の戦後(大東亜戦争後)に於ける文献史学者学者」…は、既に、此の時点で「文献史学者」とは言えません。

     

     

     

    ★…上の画像(神代巻口訣)の文面…「書以廣道(忌部政通)、而求深旨、誕緤源象形也(O・冂・△・弓・囗=秀真文字の母音記号)。 應壇傾銚耒押異域(古代ユダヤ民族地域)典經(モ−セ5書/ギリシア語訳の聖書)、始來朝以降至、 推古天皇、聖徳太子、以、漢字附、和字(ルビ)。後、百有餘歳(100有余年)、而(然し)、戉(字中にTが入る/す?)、是書(国記/天皇記)、焉(イズクンゾ/100年後には、どうなっているのか)」(後文略す)と書かれている。

     

    …上記、文言を要約すれば、つまり…「齋部廣成」(インベヒロナリ)が書いた『古語拾遺』に記す処の…「 蓋聞 上古之世 未有文字」(ケダシキク・ジョウコノヨ・モジアラズ )…と言う文言に対し、廣成の後裔(子孫)である【忌部政通】が言うには…「上古(我が国の黎明期〜BC31年迄頃)の世、此の島国(日本列島)には文字が無かった。然し、新に創案し作成された【神代文字】は象形文字であった」…等と言う事を説明している。そして、又(而/然し)、その【神代文字】(和字)で書かれた文面に対し、推古天皇時代(AD593〜628年)の聖徳太子は、漢字を用いて和字(神代文字)に当て字(ルビ/万葉仮名等での当て字)する方式(欽明天皇2年=540年から始まる)を用い、公文書(国記&天皇記等)を選録(AD620年)した。従って、此の年(推古天皇28年=AD620年)から「百有余年」後(100年後頃)には「どうしているのか」(焉/いずくんぞ)と言う事を記している。その意味する処は、「養老4年」(元正天皇6年=620+100=720年)の時、全てが漢字を用いて書かれた【日本紀】(逸書/ニホンギ)が作成(上奏)された事を示唆してる。

     

    …つまり、最初(上古/我が国に於ける黎明期〜BC31年頃迄)は、此の極東の島(日本列島)の住民は文字を持っていなかった。だが、聖書(旧訳聖書に関連する文書)を有した人達(クムラン秘儀教義宗団)が、異域(古代ユダヤ民族地域)から此の島に移動して来て、それ迄の自分達の文字(ヘブル文字&ギリシア文字等)に変わる新たな文字(秀真文字=神代文字)を創案し、「日本人の為の聖書」(秀真伝と三笠文/文書)を完成させた。その後年(欽明天皇2年=540年)に於いて、「和字(神代文字)が読めない人達」の為に、和字を漢字に書き換える事が始められた。その後、物部氏族が蘇我氏と聖徳太子の連合軍に滅ぼされ、国史や天皇記等の文書管理が、聖徳太子側(大臣は蘇我氏)に移った。従って、国史を称太子が漢字を用いて書き換えた。此の頃、伊勢神宮に保存されていた「神代文字による文書」が、小野妹子と秦河勝によって探し出され、此の「神代文字文書を漢字に書き換え」編輯した。つまり、それが『先代匶事本紀大成經』(72巻本)である。そして、此の年から百年後の養老4年(AD720年)の時(元正天皇/女帝)、大部分が漢文(一部分=和歌等は万葉仮名で記述)で書かれた【日本紀】(ニホンギと読む/逸書)が奏上(完成)されたと言う事を、此の画像の文面(神代巻口訣文書の一部)は説明している。

     

     

    癸魁敍本建国・創建史学】の構築

     

    …【ΙΑΩ=ヤオ】(大阪府・八尾市の名称)の語元に始まる【日本建国・創建史】より…

    …【日ノ本・カミ代物語】(日本神話)》は AD1世紀初頭頃〜AD4世紀中頃の出来事…

     

    …癸魁敍本建国・創建史学】の構築…【 シキ】(磯城=志紀)の語元…
     

    …【河内】(カウチ)の初出は、『秀真伝』文書である。つまり…「カウチ(河内)狭山ハ、水足ラズ、ワザ(業)怠レバ、ナリワイ(生業)ノ、為ニ依網(ヨサミ)ト、カリサカ(刈坂)ト、カエオリ(反折)ノ池、掘ラントテ、桑間(平野区・桑津)ノ宮ニ、ミユキ(御幸)ナル…」(秀真伝34章)…と記す。つまり、此の【桑間・宮】とは、現在の【桑津神社】(AD282年祭神は少彦名/狭山の依網池から今川を経て桑津に至る)に当る。ちなみに、『日本書紀』によると、【應神天皇】(第15代・誉田別13年条)の時として、此の「桑津」の事が出ている。

     

    …大阪府の【カウチ】(河内)の語意、及び、語元は、此の「桑津」(河内湖南部の津)に流れ込む【西&東除川】(狭山池=依網池が水源地)と、【寝屋川】間(川の内・双方の川の間の地域/中間に大和川等が在る)を指す呼称が、その【カウチ=川内】の語元(語源の意ではありません)である。

     

    …此の大坂河内の湿地帯(中ツ国のトヨ葦原)を開発するに当っては、洪水との戦いであった。その開発を始めるに当っては、占い事(太占の材料が出土している)は勿論ではあるが、先ず…《 【ヤオ=YΑΩ】カミ(上) 》…を祀る処から始められた。そのカミ(上)の御名【YΑΩ】が、現在の【八尾市】(大阪府)の語元であった。因みに…「トヨ(14)葦原の中ツ国」…とは、現在の近畿圏に当る。その中ツ国の国府(コウ)は、現在の桜井市(奈良県・磯城アガタ)付近。そしてその当時(BC2世紀中頃)の奈良地域は、豊受氏族(葛城地域が居住地)が支配するが、国政は、ツワモノヌシ(穴師・兵頭主=天児屋の父)が担当していた。

     

    ★…【シキ】(磯城/志紀)の初出も『秀真伝』であり、此処の部分は『日本書紀』の「第2代・綏靖天皇〜3代・安寧天皇」時代である。

     

    …ちなみに、【カウチ】(大坂府・河内/先史時代の志紀郡に当る)の河川等の管理、つまり、その当時(AD1世紀〜2世紀中頃)に於ける灌漑工事等の管理者は、神武天皇の次男(兄・カンヤイミミ命=【志貴県主・神社】の祭神/太安万侶の祖)が担当したとされる。又、神武天皇の長男「タギシミミ」(母はアビラツ姫)は、天下取りの工作を企んだ事で、神武天皇と五十鈴姫(正室/后)との二人の皇子「兄・カンヤヰミミ & 弟・カヌカワミミ」の二人に殺された。そしてその世継ぎとしては、【第2代・カヌカワミミ】(神武天皇の次男/綏靖天皇)が即位。そして、嫡男だった「兄・カンヤヰミミ」は、皇位を辞退する。或一説によると、カウチ(大坂府・河内)の河川管理(灌漑等の工事)等を行う国造は【志紀県主】(兄・カンヤヰミミ/神社伝承)とされている。

     

    …『日本書紀』によると、【第3代・安寧天皇】(シキヒト/母=ミスズ姫)の時、【シキのアガタヌシ】(磯城・県主/奈良県)としては、【弟・シキ】(奈良県の磯城地域を地盤にしていた兄弟の弟クロハヤ=黒早)が、その国造(県主)として任命された事が記されている。それ以前は、【日ノ本・カミ代物語】(秀真伝・30章)の中に記すには、【シキ・アガタシ】(磯城の県司/奈良県桜井市大字三輪字金屋/志貴御県坐 神社・シキノミアガタニイマス神社/穴師坐兵主神社…奈良県桜井市穴師町)として記されている。

     

    ●【カミ名=文字】(神代文字)の片仮名表記…(5・7調)「ツワモノヌシガ、タマカエシ…キヨキマコトノ、ハナフリテ、ミチニア(道に天)モナシ、シキアガタ、アナシウヲカミ、ヲシテソエ、スヱテウツシヒ、カンヲヂゾ、ヰチチカヱラム、タマカエシ、ココストノネオ、ムスブフミ」(秀真伝・8章)。

     

    ●上記の【漢字訳文】…「兵頭主(穴師)が、魂返し、清き真の、先(ハナ)降りて、道に天も無し(天下一)、磯城(シキ/磯=志と言う)県、天無し大御上(ウヲカミ)、ヲシテ(秀真文字・文書)添え、据えて写し日、カン(上)祖父ぞ、ヰ(御魂/300)父(御親カミ)帰らむ、魂返し、KOKOS(椰子)ト(10=完成)の根(御魂)お、結ぶ文(文書)。

     

    …先述に言う【シキ】(県)とは、、それ迄のムラ(村)に始まるクニ(国)の意ではなく…《【日の本】思想による国家》…としての国造の意を以て【アガタ】(アガタ)と言う用語を造語した。従って、それ迄の小国(九州・筑紫32国/秀真伝27章)も、カンタチ(大物主系・公卿)の意向を以て同意した。その最初の【アガタ主】の地が、現在、奈良県の地名に成っている【磯城】である。その【シキ】の初出は…(清音/濁音無し)「シキシマノヱニ、ヒトウマレ、ミソヒ(31日)カニカス、メハミソフ(女性32)、ウタノカツモテ、ワ(地)ニコタフ、コレシキシマノ、ワカ(和歌)ノミチカナ」(秀真伝・1章)。と記す如く、『秀真伝』文書が初出である。

     

    …此の歌を漢訳すれば…(濁音入り)「敷島の上に、人生まれ、31日(ミソヒカ)に数(カズ)、女は32(ミソフ)、歌の数(カズ)以て、地(ワ)に答う、此れ敷島の、和歌(5・7調/基本31文字歌)の道かな」…と訳す。

     

    ★…【シキ】に対して、「磯城」(奈良県・桜井市付近)や、「志紀」(大阪府・西除川と淀川の間=志紀郡)の漢字を用い、当て字するが、その当て字は後付であって、その本質は【シキシマ】(敷島)の【敷】が語元である。

     

    …【シキシマ】(敷島)の語意は…「敷波寄する伊勢の宮」(秀真伝36章)に言う【敷波】の語意にある。つまり…「昔、我が住むサコクシロ(タコチ宮/BC3年・八尾市の竹渕神社付近に竹の都が在った)、敷波寄する、伊勢の宮、永く静まり、守るべし」(秀真伝36章)…に言う、その【シキナミ】(敷波)が意味する処は…「敷波によって繋がる処のイスラエルの地」(地中海西岸に位置する)を示唆すると共に、御魂鎮めの【伊勢神宮・建立思想】にある。そして、その全てを一言で言い表す呼称が【敷島】(日本列島)である。従って、此の思想に対し【敷】(シキ=敷き)と命名した。それは、【日ノ本・国家】(全・小国の屋根の意)の、新た成る基礎造りを必要とするに当たり、教育を伴う「アガタヌシ」(県主)の育成に関連する。つまり、【日ノ本・思想教育】の基礎と成す祭事。つまり、【年中行事】(宇宙的・自然的循環法則に基付く)の祭事を敷く事をも意味表し、此れらをの語意を一括して言い表す為の用語(造語)として、【シキ】と言う言語を造語した。此の【自然的・循環法則】の発案者は、【Qumran Sect】(クムラン秘儀教義宗団)トップグル−プの子孫の人達である。

     

    …古代ユダヤのクムラン地域(死海西岸)から【Qumran Sect】(クムラン秘儀教義宗団)の人達が移動して来た。その証拠(自説)と成るのが、「長髄彦・討伐物語」(『秀真伝』に記載)である。此の物語は…「タケヒト(神武)・即位前年」(BC7年〜BC2年迄)…の物語である。此の、【長髄彦・討伐物語】は、それ以前に言う【日ノ本・カミ代物語】から続く物語であるが、何故、【日ノ本・カミ代物語】が創作されたのかと言えば、「ユダヤ民族のカミ=YΑΩ/YHVH)を祀るには、ユダヤ教のテ−ゼ(命題)が必要不可欠(カミは1つ/一神教)である。つまり、【長髄彦・討伐物語】とは、【メルキゼデクテクスト】(死海文書/11QMelch)の成就(finish)を意味付ける為、それ迄の歴史的時代背景を織り込での物語である。

     

    …【タケヒト】(神武天皇)即位に始まる【日本建国史】に於いて、漢字文献『日本書紀』に在っては、【シキのアガタヌシ】に対し、「磯城県主」(磯=志と言う…日本書紀に記載)と漢字で当て字されているが、その【シキ】の元義は【敷】(シキ)の語意に由来する。その証拠となるのが…(神武・即位3年前/戊午/BC3年の時)として挿入されている和歌である…

     

    …「カンカセノ(神風の)、イセノウミナル(伊勢の海なる)、イニシエノ(古の)、ヤエハイモトム(八重這い求む)」に続く次の和歌(31文字)。即ち…「シタタミノ(下民の)、アコヨヨアコヨ(AD元年〜BC538/倭語ゲマトリア…ユダ捕囚解放年数値言語)、シタタミノ(下民の)、イハヒモトメリ(祝い求メリ)、ウチテシヤマン(討ちてし止まん)」(31文字歌/秀真伝29章)…

     

    …つまり、何故、「エシキ」(兄・磯城)との戦の文面に「伊勢の海」に関する歌。即ち…「カン(カミ)風の、伊勢の海成る…」の歌が挿入されたのか?、その答えは…【シキ】の語元を示唆する事にあった。

     

    …【シキ=志紀】(磯=志と言う…『日本書紀』神武即位前戊午条に記載)の語元(語源の意ではありません)は、【シキシマ】(敷島)であり、それが…【日ノ本(ヤマト)・思想】(大陽循環法則・思想)の国政を敷く…に言う【敷島】の語元である。その意味する処は、先ず【フトマニ】(太占)による【年中行事】の施行を以て成る国家の創建、即ち、【ヤマト(日本)・国家】の創建的事項に関連する。

     

    …此の【日ノ本国家・創建】に当っては、先述に言う、《メルキゼデクテクスト・11QMelch》内容(ハルマゲドン的事項)を「クリア」(課題処理)する必要があった。その課題とは、【ハルマゲドン】(ヨハネ黙示録16章/列王記下9・27)的な大戦争(『秀真伝』…カミを祀るヒト族と狸狐族との戦いに置き換えた)を勝ち取る事が大前提でった。従って、【日ノ本・カミ代物語】を作成した。その作成の謎を解く為の鍵(キ−)と成る文言の1つが…「カミ(YHVH)も喜び、告げ曰(イワク)、昔、我が住む、サコクシロ(自説=循環方式数値/660)、敷波寄する、伊勢の宮、永く静まり、守るべし…」(秀真伝・36章)。と記す部分である。  

     

    …ちなみに、「昔、我が住むサコクシロ」の宮とは、現在の八尾市に建立する【タコチ/竹渕神社】近辺(大阪府八尾市/跡部・亀井・平野区の加美地域)に在ったと考えられる、【竹の都】(秀真伝・36章)である。此の八尾市に建立する【タコチ・神社】(竹渕神社)近辺に、都が在ったとする証拠(自説)の1つが、「亀井・加美/遺跡」から【貨泉/カセン】(AD1世紀初頭=新の王莽政権時/AD1年・辛酉〜22年内に鋳造された貨幣)が出土している事である。 

     

    ★…【磯城】(シキ)の【磯】は、「志(シ)と言う」と、『日本書紀』(神武即位前紀の処)に記載あり。つまり、【磯城】(イソ・シロも同義語である)と【志紀】とは同義(イソ/iso=同義)語である。

     

    …「天平19年2月11日/法隆寺伽藍縁起并流記資財帳に【志貴】(志紀)と記す。 「長野郷…河内国志紀郡八郷」の1つ。

    …志紀郡の【国府】(コウ)は、現在の「大阪府藤井寺市土師ノ里」駅周辺に史跡あり。

     

    ★…国歌【君が代】の歌詞は、『秀真伝』文書が元義である…

     

    …(5・7調)「ホツマツタヱ(秀真伝)の、よそあや(40文)お、あみたてまつり、君が代の、すえのためしと、ならんかと、おそれみながら、つぼめおく、これみんひとは、しわかみ(磯上)の、こころホツマ(秀真)と、なるときは、はなさくみよの、はるやきぬらん」(秀真伝・序章)。

     

     イソ(磯=iso/同等)の浜、真砂はヨミ(読み)て、尽くるとも、ホツマの道は、幾代尽きせじ」(ホツマツタヱ≒秀真伝・序章)

     

    ◆屮カン成す、春の等しく、巡り来て、イソ(磯=is0/志と同義語)のマサコ(真砂)は、岩と成る」 (ホツマツタヱ≒秀真伝・序章)

     

    …【武振熊君奉勅】(詠歌本紀下)…「君之代者千代于八千代于微小砂石之磐巖璵成而苔之終迄」(先代匶事本紀大成經72巻本)。

     ※(カミ名文字=仮名訳/訓読…きみがよは、ちよにやちよに、さざいしの、いわをとなりて、こけのむすまで)。

     

     

    下記に【追記】(平成29年11月22日/水曜)…日本の【国歌】&【国旗】の起元(起源の意ではありません)

     

    ★…上記…『先代匶(旧)事本紀大成經』(72巻本)の「永歌本紀・下」(君が代…)の和歌(歌詞)は、その後年、つまり、「10世紀・初頭頃に編纂された古今和歌集」に取り込まれた。又、【薩摩琵琶曲…蓬莱山】(大永天皇6年=1526年/島津忠良・作)として存続し続けていた。そして、「明治13年=1880年」に於いて、【薩摩琵琶曲…蓬莱山】に対し、新たな作曲(作曲=林廣守&奥好義)を以て国歌的に歌われる事となり、「平成11年=1999年」に至り、我が【日本の国歌】として正式に法制化された。 

     

    ★…日本国旗【日の丸】の起元(起源ではありません)としては…文武天皇元年(大宝1年=AD701)…「朝賀(正月元旦)の儀式」会場の飾り付けに、【日像】の旗を掲げた」とする記述が『続・日本紀』に記載されている。

     

     

    以下【追記】(2017/11/27・月曜)…【伊勢神宮・建立思想】と【1萬年・枠物語】の創案に付いて

     

    …何故、【日ノ本・カミ代物語】が書かれ、又、【伊勢神宮】(内宮)に天照大御神を祀る物語が創作されたのかと言えば、此れは、ユダヤ教のthese(テーゼ/命題)、即ち…《カミ(God/ΙΑΩ=ヤオ)は1つ》…と言う考えにあった。

     

    …早い話が、此のテ−ゼ(命題)の問題解決の為として【日ノ本・カミ代物語】が創作されたと言う事である。此の解決策の手本と成ったのが、オニアス4世(BC150年頃〜B145年頃)が、エジプトに亡命した後、「イザや書19・18-19」の預言を引いた事にある。つまり…「その日、エジプトの国には、カナン語を話し、万軍の主に誓いを建てる5つの町が起こり、その一つは、イル・ハヘレスと言われる」。此の語意を以て、亡命先のエジプトの地(太陽の町=ヘ−リオ・ポリス)に、オニアス4世は、Jerusalem(イェルサレム)神殿を模倣した小さな神殿を建立した。そして、本拠地のユダヤに於ける【エルサレム・第2神殿】が、ロ−マ軍の攻撃で陥落(AD71年)した年を以て、エジプトに建立していた神殿もロ−マによって閉鎖された。

     

    …【ヰセ=伊勢】(秀真伝・28章)の語元(語源の意ではありません)と、【天照大神】(太陽神・思想)の語元は、その、オニアス4世の出来事に起因し命名された名称であった。要約すれば、異邦の地(日ノ本/極東の列島)にユダヤ教の神殿を建立する事は禁じられるが、然し、「大陽(イル・ハヘレス)と名が付く地域には、この限りではない」と言う事が此処に証明されている。

     

    …ちなみに、【ヰセ=伊勢】(造語)の語元は、【ヰ・モ・ヲ・セ】ゲマトリア数値・318)である。そして、此の綴り文字(4文字)を詰めて呼んだ呼称が、「イモセ」(妹背)であり、最終的に(イ)・】(伊勢)》と呼んだ。然し、此の言語の初期に於ける【ヰ・モ・ヲ・セ】(造語)が意味する所は、【モ−セ5書】に言う【Bereshith】(ベラシト…創世記の意)中に書かれている文言を示唆する秘儀数値(イェルサレム神殿を示唆する数値・318)言語の事である。つまり【ヰモヲセのミチ】(318&3000/妹背の道)とは、先述に言う【Jerusalem・第2神殿陥落年】(AD70年)に当り、此の歴年数値(70)に合致させる為に造語された秘儀数値(3000)言語である。

     

    …神武軍(皇軍)による【長髄彦・討伐物語】は、《メルキゼデクテクスト・11QMelch》 の成就(finish)を明確にする為の【ハルマゲドン】(ユダヤ民族に於ける善軍と悪軍との最終6年間戦争)的「最終6年戦争」(BC7年〜BC2年=満5年)として定義し、設定しての創作物語である。その「シャレムの王=メルキゼデク」(最初のイェルサレム神殿の祭祀者)の国が危機(外敵の攻撃)に直面した時、その外敵を駆逐したのは「アブラム(改名前)の家で生まれた318人(創世記14・14)であった。従って、【ヰモヲセのミチ】(318&3000)が意味する処は、ロ−マ軍によって【Jerusalem・第2神殿】が陥落(AD70年・陥落)した事を後年知った事に関連する。それは、その第2神殿陥落の翌年(AD71年)に当たる歴年数値に合致(太神宮諸雑事記第一)させる為、「新に考え出したのが、究極的な秘儀数値言語」(657+千木+天使エノク+サコクシロ+ヰモヲセ=3000/ミチ=道)である。

     

    …此の、此処に言う「新に考え出した、究極的な秘儀数値=3000」(ミチ=3千/道)が意味する処は、【ト−ラ&モ−セ5書】に言う創世記(Bereshith/ベラシト)の劈頭(ヘキトウ)成句、即ち、「天地創造は6日で完了。7日にカミ(エロヒム)は休まれた」(旧約聖書/創世記1節・1〜31/2節・1〜3)と記されているが、その「カミの7日は人間界の7000年」とされる事に関連(7000+3000=1萬年)付け、究極的【1萬年・枠物語】(現在に言う日本神話)を創案した。そしてその【1萬年・枠物語】と言うのが、【ホツマツタヱ】(秀真伝)文書に記述されている【カミ代・物語】であり、後年に言う『日本書紀』記載の【日本神話】である。

     

    下記に【追記】(2017/12/29・金曜)

    『カミ(キリスト思想宗団)が創建した国・JAPAN』(God・マニフェスト)


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    『 カミ(キリスト思想宗団)が創建した国・JAPAN 』(God・マニフェスト)…此のブログは、次 URL ↓↓↓の続きと致します…【日本建国・創建史学/癸供→  https://ameblo.jp/erusaremu464/entry-12336801690.html ドラッグ&クリック検索)…

     

     

    …日本の国は、その昔【ホツマ・国】(神武天皇31年条)と呼ばれていた。その【ホツマ】とは、「完成=良く整った国」の意味である。

     

    …尚、【ホツマ】とは、【ゲマトリア】(Gematria=文字&数値転換・解読方式/カバラ教義)数値「400」(倭語数値・ヨモ)に起因し、その語元(語源の意ではありません)は、「ムツネ=胸」(400・夜の終/Υ)の語意と同義語である。

     

    …因みに…【散逸書・ミカサフミ】文書の「三笠文…カミヨ・ヤマトナ章」を「漢字混じりで要約」すれば…

    …(前文略)「アヒキとは、負けてヤワ(和)しの、宮ヒ(Θ=日/─砲覆蝓▲▲ぅ漫陛卦錣)アヒキ(天引き)の、流れ木(天の逆木=天界の生命&知恵の木)は、ケリ(153)名(魚)泳ぐ木、事(舟)ならず、筏とカモ(小舟)の、始めより、ヤマトコトバ(日本語)の、道開きて、立つ中壷(太占=フトマニ・アウワ=アメノミナカヌシ)の、チマタ(衢=ヤチマタ)より、テニオハ(助詞言)ヰツキ(息継ぎ)、導きて、言葉つかいも、此のウタ(アワ=天地歌)の、中のナナネ(5・7調・和歌)を、元にして、人のムツネ(400=Y/6根=胸/ミチノク=陸奥/現在の宮城地域)に、配り知る」(後文略)……等と記されている。此処に言う…「ケリ(153・魚)ナ(7+153=160)泳ぐ木(生命&知恵の木=千木の語元数値・160)」…と言う意味は…「此の極東の列島(現在の日本列島)に舟で渡海して来たクムラン秘儀教義宗団(ヤオのアラヒト氏族=後のオオキミ氏族)の人達がヤマトコトバ(倭語)を設定した」…と言う事である。

     

    …話は変わりますが、【72人訳・ギリシア語訳聖書/L X X 】(ト−ラ/モ−セ5書)は、アリステアスの書簡に因ると…「プトレマイオス2世・フィラデルフォス」(前285〜前246)の時に書かれたとされている。又、『新約聖書』もギリシア語訳で書かれている。

     

    …【ヨハネ福音書21・11】(新約聖書)…「シモン・ペテロが行って、網を陸へ引き上げると、153匹の大きな魚でいっぱいになっていた。そんなに多かったが網は裂けていなかった」…つまり、【元始・キリスト教】(AD31年頃)の設立者達は、【クムラン・秘儀教義宗団・思想】を引き継いだ人達だったから、此の(153/三角数)ゲマトリア教義数値を引き継いでいたのである。

     

     

    …話を戻せば…此の「カミヨ(上代)・ヤマト(580)名/章」(ミカサフミ)文書も、此の姉妹書【ホツマツタヱ】(秀真伝)と同じく、【1萬年・枠】(God=ヤハウェの居住数値)中に、更に設定した【千年枠・物語】(初代・神武天皇〜第12代・景行天皇期迄/在位通歴790年=天鈴暦847年)を念頭に置いて書かれたもので、その【1萬年・枠】設定方式に言う【1萬年】と言う数値は【エノク書】(旧約・偽典)に起因する。又、暫定的に設定した【倭暦】(アスズ・コヨミ=天鈴暦)の「歴年数値・847年」抽出方式は、「ギリシア語訳聖書・ノア洪水年数値」の【2243】(満2242)−236−1160(千木の語元数値)=【847】(暫定倭暦の終焉数値)である。

     

    …此処に言う「ヤマトコトバ」とは、此れも、『旧約聖書』の【ダニエル書】(5・25)に記す、「Mene,Mene,Tekel,U・pharsin」(メネ、メネ、テケル・ウ・パルシン)言語(5母音/基本48文字)の文字配列方式に起因する。

     

    …日ノ本、即ち、【カミ(上)の国・日本】に言うJAPANとは、漢字表記「日本=ジツホン」に対し、西洋人が「ジッポン」等と呼び、尚、アルファベットで表記するに当り「JAPAN」等と西洋の文献(東方見聞録)に記述記された事に始まる。

     

    …此の【日本】と言う呼称の語元は、『秀真伝』文書(ホツマツタヱ文書はAD1966年=昭和41年8月に再発見された)に…「ヰヤマと通る、ヤマト国、日ノ本なれど、ヤマト国」…と「秀真伝・23章」に記述された文言に起因する。その意味する処は…【ヰヤ・マ・ト】(58・坐・10×58=580)…となす数値言語が語元である。此の謎解きは、【枠・物語】(1萬年−3910−4900−満30=1161/2006(ノア迄の歴年数値)−1160=満846/天鈴暦847年)の解明にある。つまり、【脱・ユダヤ教】を目指した【Qumran Sect】(クムラン・秘儀教義宗団)トップグル−プの人達は、【死海文書】(1947年発見)を書き遺し、尚、その文書を或秘密の洞窟に隠し残した後、此の極東の列島に移動(エゼキエルの預言)して来た人達の子孫達が、【日ノ本・国】を創建した。従って、【日ノ本】と言う言語(造語)が誕生したのである。

     

    …つまり、此の暫定的【天鈴コヨミ/847年迄】(在位通歴・790年迄)と言うカレンダ−(木読/コヨミ)の作成者は、【ト−ラ/モ−セ5書】(旧約聖書)を自在に操れるユダヤ教の大祭司関連者(サドク系)、即ち、【カミ(上/God)の宗団】者、及び、【ヤオ(ΙΑΩ=God)のアラ(AL)ヒト】氏族の人達である。

     

    …【ホツマ】(満343の空間&千木・1000−空間343=657・伊勢神宮建立年数値)思想(太占=アイフヘ・モヲスシ/ヤマト言葉を統括する天御中主尊/ゲマトリア数値言語)の我が【日ノ本の国】(ヤマトクニ)は、創建以来、【カミ(上/God)のクニ】と呼ばれていた。

     

     

     

    …下記に【追記】(2017/12/23・土曜)…倭語【カミ=God】(上=ウエ)の定義付け…

     

    …倭語(元始・日本語)に言う【カミ】(God=カミ&ウエ≒上)の語元は、カバラ(近年の定義付言語)以前の【Zohar】(アラム語/ジハラ=輝きの意)に於ける【ゲマトリア】(文字&数値転換・解読方式)に起因する造語であると共に、又、【倭語方式・ゲマトリア】(三角数/創造の書・sheen&Σ=231の門/カミの息の門)を導入した事を意味表す言語(造語)でもある。尚、此の元初に於ける倭語「ゲマトリア方式」(三角数の取り込み)を用いた、その初期的造語に言う【カミ】の語意は、ヘブル文字【Β】(創世記名称の頭文字/数値2000)と、大天使【ミカエル】(MIKALの頭文字/数値40)の組み合わせ文字を用い【カミ】と命名し、此の語意としては「ウエ=上」(66+136=202)と同義語として定義した。

     

    …要約すれば、その合計「2242」(ギリシア語訳・聖書/ノア洪水年に関連する)の数値に意味がある。つまり、【日本人の聖書/Bible】(ホツマツタヱ&ミカサフミ文書)を作成するに当っては、【72人訳・ギリシア語聖書】(モ−セ五書)の【秘儀数値】が取り込まれた事を意味表し、此れが意味する処は、【クムラン・秘儀宗団】は「脱・ユダヤ教」を目指していた事を物語る。

     

    …此処に言う、倭語として造語した【カミ=ウエ&上】(合計数値・2242)の所在地としては、【日ノ本・カミ代物語】に言う【アメ=天】とされて

    いる。然し、此の語元数値と、又、【フトマニ】(太占)文書とを考察(ヤチマタ/八衢・8128=完全数)すれば、【1萬年・枠物語】に対応する【太占】(フトマニ)図中の【ア・ウ・ワ】(アメノミナカヌシ/天御中主)の部分が、その空想的【アメ=天】の所在地(数値=370)である事が解る。

     

    …従って、暫定的に設置した倭暦(コヨミ/木読)に言う、「アスズコヨミ」(天鈴暦)の終焉年数値(847)の出処は、千木の語元(語源の意ではありません)数値(1160)に対し、「ノア迄の創世記年数値」(在位通歴・2006年)を繋ぐ数値(過去に遡る/満2005年)として溯り、その数値に接続させる数値として用いている。そして、此処(1160/千木の語元数値)から更に【アメノミナカヌシ】(天御中主)数値「370」を用いて溯れば、【ホツマツタヱ】(秀真伝)文書の皇歴年終焉(景行天皇・崩御年/790年=アスズコヨミ/天鈴暦・847年)に当る。そして尚、此の、暫定的「天鈴暦・847年」数値を溯れば、「神武天皇・即位元年」(AD1年目)を通り越し、「BC57年・値点」を以て、暫定的【倭暦=アスズコヨミ】(カレンダ−)の始点(満年数値)に達するのである。此の、「BC57年」が意味する処は、宇宙(黄道帯/ゾディアック)的循環法則の取り込みである。つまり、此処(BC57年)から「26年」(ヤハウェ/YHVH のゲマトリア数値)後の年としては、【カミの顕現・年】(BC31年/God・manifest … ゴッド・マニフェスト)に当る事を計算し尽くして設定したのが暫定的【アスズ・コヨミ】(倭暦/847年迄)である。

     

    …要約すれば、【ホツマツタヱ】(秀真伝)を構成する暫定的「アスズ・コヨミ」数値(847)は、ノア迄の歴年数値(満2006年)に対し、【千木】(生命&善悪を知る知恵の木/アダムと妻が此の木の実を食べた)の語元数値(千&160/1160)を用いて対応させ、『秀真伝』(ホツマツタヱ)と『三笠文』(散逸書/ミカサフミ)文書を【日本人の聖書】(Bible)として完成させた。

     

    …然し、その文書の完成以前は、【72人訳・ギリシア語訳聖書/L X X 】(ト−ラ/モ−セ5書)に記された、「ノア・大洪水年=2242年」(ト−ラ/モ−セ5書は1656年と設定する)と、【完全数】(6…28…496…8128)の秘儀数値を念頭に置いて書かれていたのである。その証拠と成るのが、【日ノ本・カミ代物語】中に【アメノミナカヌシ】(370/8128+2242=1萬370/天使エノク)を登場させている事である。

     

    …ちなみに、「アスズコヨミ数値・847」の抽出方式は、アダムからノア迄(アダムから10代目迄)の生涯年数と【72人訳・ギリシア語訳聖書/L X X 】(ト−ラ/モ−セ5書)に記す「ノア・洪水年数値」を用い、1萬年枠外数値(1萬847)として既に抽出済み数値だったのである。

     

    …此処に言う、ギリシア語聖書(写本)の「2242」(ノア・大洪水年数値)数値が意味する処は、即ち、【ゴルディオンの結目】(BC333年/アレキサンダ−による一刀両断説=難問解読)的、【ト−ラ−】(モ−セ5書)の奥義を知る鍵(キ−)とされる『旧約聖書』の「詩編147篇・5節」(文言)のゲマトリア数値が【ホツマツタヱ】(秀真伝)文中に仕込まれている事を物語る。つまり、此のキ−(鍵)数値(秘密)を用いれば、クムラン秘儀宗団トップグル−プの子孫達(ヤオのアラヒト・氏族達/後に言うオオキミ氏族達)が設定した【1萬年・枠物語】中の【ホツマツタヱ】(秀真伝)文書に秘められた謎を解き明かす事が出来ると言う事である。此の証明と致しましては【太神宮諸雑事記第一】文書に記述されている「伊勢神宮・建立年」、及び、【式年遷宮】の設定年方式を考察すれば解ります。

     

    …下記に【追記】(2017/12/24・日曜/クリスマス・イブの日)…

     

    …先述の【ゴルディオンの結目・一刀両断】(BC333年/難題を解決する方法)後、アレキサンダ−は、その後の戦に連勝し、アジアの王と成る。そのアレキサンダ−の死後、尚、その後の「ディアドコイ」(後継者争い戦争)後、ギリシアの国は3つに分裂した。その分裂した国の1つであるエジプトのプトレオマイオス王は、ユダヤ教の【ト−ラ/モ−セ5書】をギリシア語訳に翻訳した聖書(L X X 訳・聖書≒72人訳聖書)をユダヤ人に作成(ゲマトリア方式組み込む)させた。つまり、此の当時はギリシア語が共通語と成っていた。

     

    …つまり、【クムラン・秘儀宗団】トップグル−プの人達は、此のゲマトリア方式(数秘術)を駆使し、尚、【脱・ユダヤ教】を目指し、新た成る思想国(大陽思想=自由思想/ロ−マの属州政策に抵抗/BC133年頃、ベルガモン王国はロ−マに移譲された)の創建に向けた【メシア思想・カミの国】を構築する為の設計図の創案に取り組んだ。そして、此の頃から始まった新た成る国家造りの創案(思想体系の設計)、その創案による建国体系図式に従って建国されたのが、我が、【日本国】(ヤマト/ホツマ思想国)である。

     

    …ちなみに、極東移動(クムラン・秘儀教義宗団トップグル−プの人達が極東に移動した)に参加せず、地元(ユダヤ国地域)に残った、【脱・ユダヤ教】思想を目指した人達の中から、イエスが誕生した。その31年(God・manifest /ゴッド・マニフェスト)後、「イエスは十字架刑」(重罪)に処され、此処に【元始・キリスト教】が結成された。

     

     

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    2018.06.29 Friday

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