【八尾】の語元で知る【日本建国起元年】(『黄槿の花の下で』より)

2016.04.05 Tuesday

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…次(下記)の文書は、今から3年前、【東日本・巨大地震】(2011/3/11)が襲った、其の被害の大きさに感化され、、直ちに「インターネット接続・開始】を申し込み、以て、其の「プロダイバー」(トッパー)のホームページ(無料)に掲載した文書です。然るに、今から約3年前、此の文書を一番最初に投稿した意は、【東日本・早期復興】に関し、「非力ながらも何か力になる事ができたら」と言う思いからで在りました。然し、其れから三年程を経過する今年「3/20/木曜)を以て、「プロダイバー」(インターネット接続会社)を変える事と成りました。従って、此の文書は抹消される運命に在る為、引っ越し的に、「パブー・電子書籍」(下書き中・公開します)の処に貼り付けた次第で在ります。而して、私は文書の書き方も知らず、まして、学校での勉強を放棄した我が身に於いては、文書の書き方を覚えねばならず、イザ、として書いた次第でありますが、初めてのパソコンに至っては、先ず、パソコンの使い方から始めなければならず、文書の修正は後回しと成っている次第で在ります。
…此の文書の手直しはさることながら、貼り付けた結果、其の書式の違いで、文字詰め、行間のズレが多々あり、多少は其の書式の違いは修正しましたが、是れ以上は素人では無理でした。然し、時間をかけて修正、及び、加筆していく予定で在ります。而して「現在は、此の文書の、脱字、誤字等は未だ修正せず、其の儘の状態で貼り付けております」。
…先ず、何故、最初に此の文書を書いたのかと申しますのは、我が国の【元始・ヤマト国家創建】以前、つまり、【日ノ本・建国】(紀元・前後頃)の建設過程に於いて、最初に其の拠点を構えたのが古代期に於ける【ヤマト思想秀眞國】(古代・元始期の国称)、乃ち、現在に言う【東日本地域】で在ったからでした。然し、「何処の馬の骨かもしれない者」(昔・彼女のお父さんに言われました)が、尚、いきなり、このような記事を書いたとしても、「空想的な物語」と成す誹り免れません。従って、先ず、此の境地に至る迄の過程的内容を提示しておく必要性を私は強く感じていたからで在りました。
…此の文書の掲載後、乃ち、古代、我が国の建国以前に於ける【東日本・地域】は、「良く整った国」(古代東日本地域)の意を以て【ホツマクニ】(袍図莽句爾・秀真国)と命名され、其の、【袍図莽句爾・秀眞國】建国思想(日本神話の中に組み込まれている)をモデルと成し、【元始・ヤマト思想国家】の建設的活動が開始されたと言う事等の情報を、発信して行く考えで在りました。
…而して、最終的には、此の、【元始・ヤマト国家】の創建者達は、「紀元前・31年」に、【ヒルベト(廃墟)・クムラン】(英語・キルベト)の居住地(古代・ユダヤ民族の地)を襲った【巨大地震】を契機と成し、極東の島(現在の日本列島)へ移動(旭日崇拝・思想)して来た【クムラン・秘儀宗団】者達、乃ち、【クムラン・ダマスコ契約宗団】で在った事を知らせたかったので在りました。然し、東日本を襲った「巨大地震・直後」、或いは、其の数年間程の間は、此の事は必要以外(神経の逆なで的意を憂慮して)、書かないようにしようと心がけてきた次第で在りましたが、「プロダイバー」(接続業者)を、今回(2015/3/20)を以て、替える事と成り、其の引っ越しの過程に於いて、説明する次第で在ります。
尚、此処に貼り付けている…【http://w01.tp1.jp/~a098477294/】(私のホームページ・URL)…の番号も、上記の説明を以て、其の期日を以て削除される予定で在ります事、宜しく…以下、次の文書は、其の、「ホームページ・文書」の貼り付け文書で在ります。
 
日本人Identity (Japanese&etymology) を求める
         『ハマボウカ (黄槿)の花の下で』より 
 
         2011311()東日本に…極大地震津波発生…
  【元始ヤマト文字言葉の基点】
 東日本は、其の昔「袍図莽句爾秀真」と呼ばれ、日本(Japan)は、袍図莽句爾秀真」の
創設に因って始まりました。「袍図莽句爾」(良く整った国の意)の名称は、『日本書紀』(檀31年条)
に記載が有り、又、其の国の始まりは、日本神話に記述されています。そして、我が国(Japan)
の原初神(國常立尊)、其の原初神の尊称語「尊/美挙等/ミコト」の語根は、古代Israel
Bibleアッカド語)[Berashith創世記]を表す文字(自説)が、其の語源の語根であります。
 「昔、伊弉諾目曰、此国曰、日本浦安国、細戈足国、磯輪秀真国(袍図莽句爾)」  
『日本書紀』(神武31年条より)
 
 当自説…【元始ヤマト文字言葉・基点研究】は、日本の、国家創建問題を解決致します。従って、従来説、つまり、縄文文化延長上に繋ぐ文化が嵩じ、大和国家が誕生した等の通説的研究ではありません。又、『日本書紀神代上』記述の原初神(含牙)を、アニミズム、フェティシズム説に付すのは、『日本書紀』の神意性を無視する偶説であります。
 私の、当研究に至った起因、及び、本説に行き着いた経緯を、次に簡略的に記します
 1949年(筆者2歳)… 私の家族は夜逃げして、叔父の家での生活に入り、その最初の初夏。浜辺(の傍)の木(3本)に、真黄色(昨日は無かった)の形状を初めて見た瞬間、その色の美しさに驚き、その色と形状の存在を尋ねるが、その問いに対し、家族の誰もが答を知らず、其の存在は、[](語源を追求した)である。に止まりました。1955年(8歳)。私は、啓示的言葉…「自分にしか出来ないことがある」…が天から、Inputされました。其の日の朝飯(麦3~4割)にソーメンが混ぜてあったので何も食べず、昼下校後、空腹を我慢して、粘土運搬用の小舟に仰向になり、ボンヤリ空を見ていた時でありました。鋭線が一瞬、額を突き抜け、其の瞬間、我が無意識下(空白)に、彼の言葉が刻み込まれていたと言う次第です。其れ以来、其の言葉は「我が心の中にしまい込んだ儘、秘密の言葉」は、Command(内意的支配言語)となっていました。後年、大阪の某会社に就職(当時金の卵と呼ばれた)し、会社を転々とした後(27歳)、自由な時間確保(フリーター的生活)に伴い、居住地(羽曳野市)を八尾市に移したことが運命の岐路となりました。然るに其の岐路とは、乃ち… 【際会】(bychance)…に於ける、彼の女性(大阪府八尾市・喫茶ラブリー)との出会いで在りました。其の出会った当日の其の人の親切以来、当時、信頼していた人に裏切られ、退っ引きならない切羽詰まった我が心は、少しずつほぐされると同時に、無学な私は、此の出会い以来、読書や辞書引き等を以ての読書を以て「学ぶ心」を教えて頂きました。而して、我が幼少時に於ける初夏から初秋にかけて真黄色の花を咲かせていた彼の3本の木は、私が小学3年(5月)の時、佐賀県伊万里市の国道(204号線)拡張工事に伴い、浦之崎(高尾の鼻付近)の断崖下に位置した叔父の家(我が家族も同居)は、半強制的に立ち退きを余儀なくされ、私が小学校(3年生)から帰ってみると、見るも無惨に切り倒されていた。其の変り果てた3本の木を目の当りにした時の哀れさは、今でも忘れる事が出来ません。

…然して、我が幼年期(2〜3歳頃の初夏)に思った事(の語元が知りたい)で心に傷ついた事での記憶は、何時しか我が脳裏からは消え去っていたので在りました。此の、消え去っていた出来事が我が脳裏に鮮やかに蘇ったのは、【千木】の語元見出した瞬間で在りました。つまり、其の記憶が消滅する替わりに「自分は何かをしなければならない」等と言う何かがCommand内意的・支配言語)的に変化し、我が無意識下に潜む形に成っていた。其の結果、何時しか私は或運命の道に引き摺られて行った次第で、其の運命の道は待っていたのでは見付ける事は出来ないと悟った処に「ダツサラの走り」的「インナートリップの旅(自分探しの旅)を決意(離職届け)に至りました。其の結果…某(有名)哲学者説の記事(昭和610822/金曜/毎日新聞夕刊)に遭遇(12年が経過していた)する事と成る。然るに、其の夕刊記事の冒頭文を読んだ直後…「我がインナートリップの旅は此処で終った」…と認識(cognition)すると供に、直ちに【鳥居/千木】の語元の究明に着手する事と成りました。其の翌年(8月始)、遂に【千木】の語元(語源の意ではありません)を掴み取った、と、思った其の瞬間…「我が幼少時の出来事(場景)」が我が脳裏に鮮やかに蘇る事と成る。然るに、幼年期(2〜3歳頃)の出来事の一場面では在るが「…に対する語元追求時の情景」は。時間の隔たりを無にするかの如く蘇ってきました。其れは「黄色のの木の下で」(何時もの遊び場)の場景で在りました。然るに、其の日の其の時の出来事の記憶が何時しか消滅していていたので在ったが、此れが、何時しか我が脳裏に潜むCommandと成って、私に追い込みを仕掛けていた。其の正体の存在に初めて気が付いた時、自ずから涌き上がってきた内面からの言葉が…「日本語の始まりを究明せよ」…で在り、此処を以て「日本語の起元」に対する研究のスタートと成った次第で在ります。

…而して、其の夕刊の冒頭記事に遭遇するに至った経緯は2回目のbychance(際会)で在った。つまり、彼(和美さん)の夫婦に、某蕎麦店で偶然出会って、其の彼女とすれ違った際(呟き語murmur)に聞こえた小さな声「…リッパニナッテ…」を聴き逃さなかった。其れで、其の時、ハッと気が付いた事とは「未だ我がインナートリップの旅(自分探しの旅)の途中に在るにも拘わらず、其の初心的な事が疎かになっていた」と言う事でした。従って、其の遅れを取りもどすべくは新たな環境に身を置く事だと言う考えに行き着き、其れ迄の我が仕事の委託先を替える決心をする。其の結果、「新た成る突破口」が開かれる事と成りました。其の「突破口」とは、其の仕事の委託先を替える決断から数年後の事でした。行きつけの蕎麦店にて何時もの如く夕刊を読んでいると…某哲学者の記事が在り、其の記事との遭遇(offset)が、後に思えば「突破口」(【自分探しの旅】の出口を意味する)に成っていた次第でありました。そして其処から「千木の語元解明」のキーワードと成る【千木の語根】を見出す事に繋がり、此処を「アヱ」のRoots解明への糸口(keyPoint)」と位置付けし、【仮称・創造神社儘文字立証学】と命名すると共に、此の研究の立ち上げに関する研究グループとしては「天王寺会」(現在発展的解散)を発足させました。其の会の解散後、当説、初期的研究の完結を意味す処の【創世記起点檀雉元歴・図表】を完成させるを以て、「筆者説・第1次的研究」の終了といたしました。
…次の段階に於いては「筆者説・第2次的研究」と位置付け、其の研究の重要な参考文献としては『DeadSeaScroll』(死海巻物文書・1947年発見)といたしました。従って、其の巻物が書かれた時代に遡る処の古代西洋史に関連する文書が研究の中心と成りました。其の研究方式は、従来的「日本古代史研究法式」、乃ち、『古事記』、『日本書紀』中心の研究法式では在りません。何故かと言えば、「日本国家の起元(起源の意では在りません)は解るはずがない」等の、マイナス志向的研究を前提にしたような従来的研究では埒が明かないと考えたからで在ります。然るに、筆者独自の当研方式は、先ず…「日本国家の起元は既に解明済み」…と言う事を前提として、早い話が「元始ヤマト国家思想のRoots解明」に対する研究として着手すると共に、未だ「考古学的証拠」を提示出来ない儘に在る「超・古代史研究法式」や、又、古代ユダヤ民族の捕囚に関しては、其の歴年史の年代を混同しての「日本・ユダヤ同祖論」、又、「失われた十種族論」等の説と、我が独学的研究方式は異説成るもので在り、其の研究の方向性に在っても全く違っていて誤解無きよう、宜しくお願い致します。

…尚、其の昔、秀真研究の第一人者である松本義之助氏に対しても、当研究(筆者自説)法式の違いを伝えた経緯(昭和62年)を以て、「日本古代文字文献研究会」(松本義之助氏/主宰・古文献)とは、既に、決別致しております。
 当(筆者自説)研究の本旨に於ける方向性と致しましては、[世界史/ユダヤ民族史]の中に派生した[Mesia来臨思想]に起因する[唯1神明様式]を通じ、「21世紀に於ける【1神教】(monotheism)の在り方」に焦点を当て、其の第一歩として、先ず、『DeadSeaScroll/死海文書』の内容を取り込む事と致しました。此の文書の発見(1947年=昭和22年)迄は、其の文書に書かれていた内容は闇的中に在った事が明かされています。然るに、此の文書を隠し残した[QumranSect](秘儀宗団グループ)が、我が国の[元始ヤマト・文字言葉](ヤマトコトバ)を創ったとする自説の裏付けとして…[Qumran.SectJapanese.Etymology]…つまり、其の復元的図表として【完成創世記基点檀雉元暦図】を作成させました。然して、「ヤマト国家思想」の根元追求を意味表す言語としては、取り敢えず「Jerusalem.Ascension.of.Japanese.only.one.shrine.Exist」(エルサレム昇天&伊勢神宮唯1神明様式の厳存的証明)と表記する事と致しました。
 当説、「日本・開闢神話&檀霤貔物語」の創案は、「DeadSeaScroll/死海巻物/11QMelcht」中にあります。その文書(原案)解読を以て為す第一義は、[Japan、original、word]、乃ち、[唯一神明造](伊勢神宮)の形状を以て説明出来ますが、具体的解読法式は、現在は秘密と致します故、公表は差し控えます。而して、当説の公表的発表を進めてくれた、[天王寺会・北村氏]の[]を受け、houmpage(ホームページ)開設を以て成る掲載法式を以て【完成創世記基点檀雉元歴図】(2011年3月31日Home page掲載)の存在を明確すると供に、其のHome pageを以て、当説の[著作権]の行使とさせて頂く所存であります。尚、その図表の内容は、『旧約聖書』創世記(Berashith)から、檀霤貔物語(紀)を経て、持統天皇(紀・譲位年)迄の歴年であります。其の在位年数値は、秘儀に従って考察すれば、其の数値配置の正確(継体問題解決済)さを立証出来る事と成っています。
 而して、当図表完成報告に至る迄(彼女に学ぶ心を教えてもらってから)の、我が能動的根元を、今、思いやれば、やはり、当時、もう二度と会えないと思っていた矢先、又しても偶然的な【際会bychance】に起因する呟き的「murmur/リッパニナッテ」(すれ違い際の呟き語)の語意を、必至に聴き逃さず、心機一転、新たな展開を模索した処に、彼の夕刊記事との接点場所が自動的に選択されていた次第でありました。それで、其所を当研究の第一歩と為し、図書館利用の開始を以て、彼の「黄色い花の名称」を、羽曳野市立図書館(43歳)の植物図鑑(写真)で、「ハマボウ」(黄槿/沖縄名・ユウナ)の名称を知るに至りました。その後(44歳頃)の交通事故(41歳)による後遺症も少し癒えた頃、再び当研究の続きを開始するに当り、彼女の言葉(呟きmurmur)の成就を、心に誓った事が、当自説の元初的到達地点に辿り着いたのだと思う次第であります。
 
 1986年(昭和61年)の毎日新聞夕刊(文化欄)記事…その記事の冒頭語句(某哲学者説)を要約すれば… 「寡聞にして〜鳥居の語元に定説無し」…等の意味が記述されていました。其の、深意的冒頭語句に対し、あたかも喉が渇いていたかの如く、一気に水を飲み込むが如くに、其の語意の深意を一気に吸収し、同時に、「私のインナートリップの旅」(約10年を経過)に終止符を打つと同時に、冒頭語句の深意を以て【鳥居/千木】の語元究明に着手しました。其の翌年夏、[千木]の語元解明を果たし、[千木]の語根の特定を以て【創造神社儘文字・立証学】(仮称)的仮説に立脚すれば、其の検索法式が容易に捗って、遂に『死海遺跡(1947年発)文書』の中から、『日本書紀』記載されている「檀霤貔(数値的基点)物語的原案」を探り出しました。其の原案の証明と為すのが『日本書紀』の「檀31年条」に記載されている[ヤマト思想]の原点的名称(袍図莽句/秀真国)に関連する処の、[pesher学術用語]を以て探り出せば、【唯1神明(造)様式】(伊勢神宮)の現存(厳存?…Exist)的証明に在ります。又、[Mesia来臨思想宗団]、乃ち、[QumranSect]が創案した[pesher文字]の厳存証明は、[鳥居]の形状を以て説明するも然り、…【完成創世記基点檀霏┛紀元暦】に関する当説は、当ホームページ(Home page) 【http://w01.tp1.jp/~a098477294/】の、次の「新規第2ぺーじ」にも記載しています。
 自説…【元始YAMATO文字言葉/起元解明】を以て、従来的「日本・古代史研究」、又、「超・古代史研究」、「日・ユ/同祖論」等とは、根本的に相違する故を、此処、に表明致します。而るに、当説に言う、「原初・ヤマト文字言葉」の、其の語根解読法式(Japan original word)の基点と致しますのは、Alphabet発祥地、乃ち、地中海沿岸文化圏の神話思想を有すQumranSectが、其の昔、極東思想(エノク書思想)を抱き、意図的に極東移動した末、辿り着いた島(現在の日本国)にて、日本(袍図莽秀真)国(東日本地域を拠点とする)を創建したと仮定すれば、「漢字以前・我が国に文字が無かった」とする従来説は成り立ちません。而るに、当説に言う[元始ヤマト文字言葉]の痕跡を、「仮」(『釈日本紀』参照)と考えれば、『旧約聖書』の「アブラハムに与えられた地/Phoenicia]を意味する「Canaan」と定義される故、[カミ]の語意は[神]で無く、自動的に[]の語意が選択され、其の[カミ/]の確認は、[唯一神明様式]の、【AHVH】の存在(厳存Exist)である。と、当説は致す所存であります。
                  home pagehttp://w01.tp1.jp/~a098477294/(ホームペーシ)     
  電子メールdvd464236@hb.tp1.jp.com
       Google電子メール「erusaremu464@gmail.com」
 幼少時に受けとったCommand、乃ち、[内意的・支配言語](我が無意識下にインプットされた言語)に対する使命感に従い、黙々歩き続け、其の途中、多くの人達(北村正信氏の後押し等)に助けられた末(自説完成報告迄)、現在に至り得たことに対し、当書を以て感謝の意とさせて頂きます。そんな今(65歳)、過去を振り返れば、孤独的環境の儘に歩いていたならば、当然、当結果に至っておらず、若し、彼の女性との度目のbychanceが無ければ、今頃の私は、何処かで野垂れ死にの運命を辿っていたこと間違いありません。而して、当研究の糸口(keyPoint)となった[鳥居/千木]の語根発見に至った経緯を、ストーリー的に文書に纏め、某投稿募集に応募(昭和63年)した、其の投稿文書の表題が、乃ち、『ハマボウ黄槿)の花の下で』でありました。其の、ハマボウ(黄槿)の木が生息出来る環境を考えれば、日本海側(佐賀県・伊万里湾)での生息は、(南方海岸塩泥地に多く生息する)であり、其の[なる]が、幸運にも我が家の傍に生息していたことが、我が運命の道の第一歩であった。つまり、彼の花の美しさに驚き、【】の語元追求に拘り続け、その拘りは、何時しか我が無意識下に潜むが、やがて[千木]の語根を掴み取った時(pesher/ペシェル文字の存在)、我が幼少時(浜辺の一軒家・瓦製造業)の、「黄槿の木の下」での出来事が蘇った。乃ち、幼少時は、其の[花の木の下]が、我が独りだけの遊び場であった。又、小学2年の音楽(音楽の教科書は買えなかった)の時間に、チラッと聞いた彼のメロディーも、我が心の友となっていて、其のメロディーは今でも私の頭の中に流れてきますが、その曲名、歌詞、題名を知らず、惟、モヤモヤとした時間を長年経た今(65歳)、ヤット其のメロディー(曲名)を探り当てました。それは「シモネッティ作曲マドリガル羊飼いの」であった。而して、我が幼少時、一瞬の鋭線に因って、インプットされたCommand(内意的・支配言語)に対し、「我が将来何処かで何かが待っている」と思い続けた彼の、秘密言葉の存在を訪ね歩き、その今(2011年3月31)、当責任を終えたと思えば、彼の「黄色い花(黄槿)の下」での数々の思い出、又、特に憂鬱な時に限って我が脳裏に、何時も流れてきた、快いメロディー(マドリガル)は、どん底に陥りながらも…「我が、辿らねば為らぬ幻の道」…を、手探りで探しあぐんでいた当時を思い起こせば、彼の花との思い出、そして彼のメロディーは、「我が幻の道・探しにしがみつく我が手」を、支えてくれていた。そう考えれば、「音楽は腹の満たしもにならず」と、我が親は思っていたかも知れないが、姉(長女・節子)が、何時も歌いながら教えてくれた童謡、唱歌、旅情歌は、我が生涯に於いても心の支であります。而して、東日本・極大地震津波発生の、今後、「日本人としてのIdentityを求めよう」とすれば、少なくとも、…「日本語の言葉の始まりを知る」…と言う考え方も、その選択肢の1つではないだろうかと、私は思う次第であります。 
        
            … 著作権者…小島・宏(2011/3/31/Friday)に記す
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 国名…【日ノ本の語元】&【Identity of Japan】
  (日本国家起元解明キーポイント)
      【唯一神明(造)様式/Canaan字】
  … 当説(漢字以前・日本に文字無し説の否定)は、[鳥居/千木]の形状を文字と捕らえる。
 ◆… 当説は、「日本開闢神話・劈頭語意」を、創世記的語意(カルデア語版)と捕らえる。
  … 当説は、檀霤貔前歴(紀・檀霤貔前179万2470)を、創世記基点数値と捕らえる。
 ぁ… 当説は、檀雉元(辛酉と、西暦紀元暦(Χυριοs紀元説は)を同暦と捕らえる。
 ァ… 当説は、Jerusalem昇天思想(千木に関連)数値を、伊勢神宮建立年数値と定義する。
【概要】
  表題【国名…日ノ本の語元】&【Identity of Japan
 [日本・漢音]表記は、[漢字言葉]を表し、[ヒノモト]とは、[元始ヤマト言葉]であります。そし
て、[Japan]とは、[漢字(日本)翻訳のAlphabet言葉]であります。其の漢字[日本]の語意は「日の出」と言うが、其の端的に言う従来説では捕らえ切れてないこと然りであります、乃ち、
[日]は、「日…数値1/火/始め」等をも意味する[ヤマト文字言葉]の語意を有しているから
であります。而して、[本]の字意を以て、単に「ヒノモト」と言うが、何を以て「日の源・的定義説
を言い得ていたのか…?」等の、過去に於ける論議の検証無しに、単に、「日出ずる国」をし
て、「日本の国号起源説」とされ、更に納得する態度的説に対しては少々疑問を感じておりま
す。つまり、簡単に考えてもわかるように、其の、「ヒノモト」的発想は、「盆地…大和(奈良)を拠点と成す聖徳太子時代の創案とは成り得ない事、然りであります。
 「ヒノモト」と成す呼称の原案は、「東日本・地域者」を以て成し得る考え方で在る。まして、「縄文時代・説」等はあり得ません。【(日)・モト(本)】的な定義説を成し得た人物(民族)は、高度な航海技術、及び、天文学等を有す者に絞られねばなりません。
 [日本人のIdentityを求める]方法は、其の人個人によっても様々ですが、その1つとして、[日本語の始まりを知る]と言う方法を、私は提言致します。では、[元始・ヤマト文字]とは、どのような言葉だったのだろうか?、と言う処に行きつきますが、現在の我が国の母国語学に言う、「大和(奈良時代頃)言葉」とは、「万葉仮名(奈良時代以降)を基本」として考えています。尚、古代、「我が国は、漢字導入以前は、自国の文字は無かった」とする考え方を通説としておりますが、其の通説の裏を検証すれば…「奈良時代以降は解らない」…と成すのも通説であります。然し、奈良時代(律令時代)以前に於ける、『魏志・倭人伝』に因ると、[元始・ヤマト文字]に因る、音節言語(例…卑弥呼)が記載されている史実を見逃すわけにはいきません。
 現在に言う大和言葉とは万葉仮名(奈良時代)を字母とするも、其の根拠的な事は見出し得ていません。然るに、「欽明天皇(紀)」記載の「仮名(存在的記述)」の存在に対しては、言及を避けて通るような、現在(戦後)の「日本・古代史研究法式」は、「手前味噌的研究法式」に等しと言っても過言ではありません。
 漢字以前の音節言語[卑弥呼]の名称には、[元始・カナ文字](『釈日本紀』参照)の語意に固定されて為る、[ヤマト文字言葉]の存在が感じ取れます。つまり、未だ、漢字を用いていなかった時代に於ける其の呼称である[ヒミコ]の、其の[]の語意は、[卑…イヤシイ]の意味では無く[数値1]及び[日・火]等の意と私は考えます。
 我が国アカデミーAcademy)的、文献史学者の人達に因る【仮名・日本】(カナ・ニホン)の存在に対るする否定的な考え方は、「漢字以前に文字が無かった」と言う説を前提に否定しているので在る。然し、「奈良時代・以前」の歴史の事は解らないと成す意を以て考えれば、其の否定説には疑問が残ります。然るに、我が国の古代史(奈良時代・以降)研究の説明に於ける、「缺史八代説」や「讖緯説」も、無理が生じている事、然りであります。
 【仮名・日本紀】とは漢字以前の文書(720年奏上【逸書・日本紀】以前)より、以前の文書を意味します。従って、此処に言う【カナ】(仮字)の語意は、現在に言う、漢字から作られたと成す「カタカナ」や「ひらがな」の意味では在りません。然るに、「カタカナ」、「ひらがな」が、未だ、無かった時代(律令時代・以前)の【カナ】(仮字)とは、いったい、どのような文字だったのかと言いますと、現在に言う【神代文字】の事で在ります。
 『世界大百科事典』に因ると、「etymology(エテモロジー・語元)」とは、古代ギリシア語に因る「etymologia」に在り、其の意は、「語の、真の意味の探求に発する」等と在る。然るに、我が国の民族宗教で在る神道の、其の神々を祀(祭)る神社を象徴する【チキ】(千木)の語元を求めるに当って、古代期に於ける「アルファベット言語を有す民族」に的を絞った事を以て、其の最終的な探究先は『Dead Sea Scrolls・死海遺跡巻物』です。

 


下記に【追記】…【 Ι Α Ω・日本建国史】の起元とは

…【ヤオ(ΙΑΩ)の語元】を知れば…《【日本(元始ヤマト)・建国史】》…の起元を知る事が出来ます。因みに、此のギリシア文字表記は、古代ユダヤ教の唯一神を意味表すものとして、グノ−シス主義者が魔除けに採用した文字でも在ります。其の【ΙΑΩ】(ヤオ)の呼称は、我が日本国(元始・ヤマトクニ)の創建に関する物語に於いても魔除け的に取り込まれていました。そして、現在は、八尾市(大阪府)の名称として用いられ、又、八尾市の其の地域の古文書(竹渕神社縁起)に起因しては新に【神武町】(大阪府八尾市)と言う町名も誕生していました。然るに、【神武町】の町名由来は、【タケヒト】(後に言う神武天皇)と、長髄彦(ニギハヤヒ側の臣)との戦に於いて五瀬命が負傷した。それで、其の東征軍は「ヤオの地域迄退いた」等と『秀真伝』文書は記していいる事に関連しています。然し、此の時の【ヤオ】の地名等に関する内容は、『現存・日本書記』(刪定書的偽書)には全く記されていないにも拘わらず、此の地域の古文書に在っては、何故か詳細的に書かれているので在ります。然るに、其の古文書の内容とは、魔除け】(ヤオ≒ΙΑΩに関する内容で在ります。尚、驚くべき事は、古代(先史)、此処の地域を居住地としていた人達は、其の昔(紀元前31年)、【死海文書】(1947年発見)を書き残し消息を絶った【クムラン・秘儀教義宗団】(Qumran Sectb)の人達で在りました。つまり、此の地域(現在の八尾市【神武町】付近)は、【メシア来臨起点年・設定拠点地】として定義された地域で在りました。其の証拠と成るのが、【竹渕神社・縁起】(光正寺文書)で在ります。尚、此の神社の古名【タコチ】(竹渕)とは、【ゲマトリア・数値言語】から成り立っていて、其の【秘儀数値】(ゲマトリア)は、【タケヒト(神武)・即位年】を示唆する数値で成り立っています。

…近年の町名変更(番地の表示)の折、新たに【神武町】(八尾市)と言う町名が設定されたと市役所の人から聴いた時(平成28年・2016/03/情報公開室にて)、其の根拠を聴けば、古文(光正寺文書)に由来するとの事でした。其れで先述に言う古文に辿り着いた次第で在りました。此処で不思議な事は、何故、我が国最古の歴史書とされる『現存・日本書記』(刪定書的偽書)に記す【長髄彦討伐・遠征物語】に於いて、【ヤオ】の地名、又、其の地名に関する内容等が記されていないにも拘わらず、【竹渕神社・縁起】(八尾・光正寺文書)には書かれている不思議さ。此の事は、此の神社の祭神が【天照大神】だった事を後日(2016/04/09・土曜)、此の神社に直接行って知った事により、其の謎が解けた次第で在ります。尚、『古事記』は、歴史書では在りませんので、此処での言及は致しません。
 
下記に【追記】(平成28・2016/04/08・金曜)…【万葉仮名】(仮名)の起元…
…【カナ】(仮名)とは、【KaMi (カミ)・名(字)】の意で在ります。此の文字は【元始・ヤマト言葉】を司る【フトマニ・図】(太占・図)に配置された【基本・48文字】を意味表す言語の事でも在ります。然るに、漢字導入以前に用いられていた神名文字(神代文字)言語、つまり、1文字1音の【定型詩・和歌】(基本・31字歌)の始まりは、元来、『秀真伝』(姉妹書・三笠文)文書を以て、其の【和歌】、及び、文書の起元と成るので在ります。然る後、つまり其の後年(欽明天皇時代)に於いて、其の和歌や、文書を構成していた神代文字(秀真文字)を書き記すに当っては、其の当時の書記者の人達は不便を強いられてたと『現存・日本書記』(刪定書的偽書)に記されています。従って、【カミ・ナ】(KaMi・名)文字で、依然として書かれていた文書(肥人の書?・平田篤胤説)に対し、漢字を神名文字の横に付して用い、読みやすく改良した等と言う事が欽明天皇(紀)の時として『現存・日本書記』(刪定書的偽書)に記述されています。つまり、此れらの漢字表記方式が、後に言う処の【万葉仮名】の始まりで在ります。然して、其の後年に至り、此れら、文字の変換過程の経緯が解らなくなった事を以てなのかは解りませんが、【日本紀】(逸書・ニホンギ)が奏上(720年)された其の翌年、早速、【日本紀・講例】(弘仁私記・序)が開かれたとされています。又、更なる後年に至っても、【日本紀・講例】(延喜)の時として、神代文字から漢字変換過程の経緯に対する問答が有った事が『釈日本紀』(日本紀の注釈書)に記されています。因みに、「仮名本二部(二書)」在り。其の一部(一書)が、「倭漢専用仮名」(倭言之類)を用いての「上宮記」で在る。又、「𦾔(旧)事本紀」以前の「古事記・仮名」(古語仮名)でも在る。尚、其の【古語仮名・文書】は、「10家が持っていた」等と、『釈日本紀』(日本紀の注釈書)は記しています。
   
下記に【追記】(平成28年・2016/04/11/月曜)…【神武即位年・設定方式】とは…
…【タケヒト】(後に言う檀霤傾)の即位年は【天鈴暦・58年】(サナト=辛酉)とするが、其の設定方式は、【創世記】Bible…ト−ラ=モ−セ五書に記されている或部分が取り込まれていました。其の、或部分とは…「ついにはシロが(chilh)が来て」(創世記49・10)…と言う処の語意(ゲマトリア言語)に在ります。尚、此の部分は、『秀真伝』文書(第1章)の…「(前文略)ヒトハモヨロ(100萬)ニ、ツキムケノ、ヒトハフソヨロ(20萬)、イマノヨハ、タタフヨロ(2萬)トシ、イキナルル、ミケカサナレハ、ヨワヒナシ、ユエニヲンカミ(後文略)」(秀真・第1章)…の中に記されている「100萬+20萬=120萬」と成る【秘儀数値】と、ゲマトリア言語の語根数値を同じくしています。其の意図する処は、新たな歴史の始まりの章(人皇の章&カミヨ物語の章)に関連付けられています。従って、此の双方の数値、つまり、【タケヒト(神武)即位年数値・58】と同義的数値と成る【ホツマツタヱ第1章数値・120萬】の数値に対し、先述の【竹渕(タコチ)神社】(祭神・天照大神)に言う【タコチ】の語根数値(ゲマトリア)も、此れ又、同義的数値を有す言語で在りました。つまり、此の事が意味する処は、【創世記】記述に言う…「ついにはシロが(chilh)が来て」…的、語意(理想郷)に値する事柄が成就(finish)した事への宣言的記述と捉える事が出来ます。

…上記に言う【タケヒト即位年数値・58】(神武即位年)と、【カミヨ年数値・120萬】(数秘術)を用い、予め、物語を作為する以前から【伊勢神宮建立年数値】の設定(垂仁天皇26年)や、又、伊勢神宮(外宮)に於ける【豊受勧請年数値】(雄略天皇・22年…A.D.478年)は、既に設定されていたので在りました。此の事を証明してくれるのが【太神宮諸雑事記第一】の文書で在ります。此の文書に因りますと、【Jerusalem】(イェルサレム)の第2神殿がローマ軍に因って陥落した翌年(A.D.71年)に当る年と同年の時として、オシロワケ(後に言う景行天皇)の即位年で在る故を記しています。此の事は、【ダニエル書】の預言が成就(finish)した事を意味表しものでも在ります。然るに、其の【ダニエル書】の中の或数値の合算数値は、『秀真伝』(姉妹書・三笠文)文書の【カミヨ・物語】に於いて、【ウヒルキ】(天照大神の幼名)の生誕年(179萬2470年に起因する)の数値として取り込まれています。
…更に【追記】(2016/04/11)然るに、其の【ウヒルキ】の語意を漢字変換すれば…《大(ウ)・日(ヒ)・孁(ル)・杵(キ)》…等と成り、此の4文字語の最後の【キ】字意は、臼杵に関連させての男性の意として命名された事が『秀真伝』(第4章)に記述されています。尚、其の後に漢字が導入され、此の【ウヒルキ】の語意の本質を知らない人達は【オオヒルメ】と誤訳した事により【天照大神】とは女性の意として世間に広められたので在りました。然して、真言密教の開祖で在る空海(弘法大師・771〜835)は、此の語意(ウヒルキ)に対し【大日如来】と当て字し、【胎蔵界】(梵字・ア=アーク…おんあびらうんけん)と、【金剛界】(梵字・バン…おんばざらだとばん)の中心に据えました。つまり空海は、【ウヒルキ】(大日孁杵)に言う【天照大神】は男性の意として理解していたので在ります。




…此の続きは後日と致します…


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2018.06.29 Friday

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